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【研究者の肖像Vol5-連載①】「まずは興味を持ったテーマを追いかける。」竹内昌治が語る生体材料と機械的なデバイスを組み合わせるハイブリッドの世界

その研究の目的は?意義は?それも大事だけれど、まずは興味を持ったテーマを追いかける。
面白ければ、壁は越えられるはず
東京大学 生産技術研究所 教授 博士(工学)
竹内 昌治

「竹内研」に集うのは、ここを率いる竹内昌治が専門とする工学のほか、医学、化学といった理系のみならず、芸術や経営学など多彩なバックグラウンドを有する人間たちだ。研究対象も、細胞などの生体材料と機械的なデバイスを組み合わせることで、様々な産業に役立つツールを開発しようという、まさにハイブリッドの世界である。彼らの手にかかれば、細胞は工業部品のように規格化され、”粒”にも”紐”にもなってしまう。こうしたコア技術を活用して、すでに高精度匂いセンサー、体内埋め込み型の血糖値センサーなどが生み出されている。学生時代、迷った末に機械工学系に進み、やがて生体材料と出合って新たな領域を拓いた竹内。その原点には、心が震えるような〝研究の楽しさ〟があった。

「つぶしがききそう」という判断で機械工学系に進学

1972年、東京で生まれた竹内は、父親の転勤に伴い2歳で山梨に。だから人生の記憶のほとんどは、そこでの出来事からスタートする。実は父も研究者だった。山梨大学で、自然界の水の循環を探求する「水文学」を研究していたのだが、子供の頃はなぜか「父親のような仕事はしたくない」と思っていたのだという。当時の夢は、サッカー選手である。

サッカーを始めたのは、小学校2年ぐらいからです。けっこうな強豪チームで、県大会で優勝したりもしたんですよ。監督がまた人格者で、今思うと学校の先生以上に、人生訓みたいなものを学んだ気がします。

例えば「とりあえずシュートを打て」「とにかく枠を狙え」と口癖のように言っていました。シンプルだけど、幼心の中で〝ゴール〟が明確になる。今でも研究のシーズを見つけると、どうやってシュートまで持っていくかをまず考える自分がいます(笑)。ディフェンダーだったので、「辛くても走れ、戻ってから休め」とも指導されました。〝走りながら休んで〟いると防御が甘くなって、結局たくさん走らされることになる。「集中すべき時に全力を尽くすのが成功への道だ」と言いたかったのでしょう。

高校では理数系クラスに入りました。1クラスだけだったので、級友とは3年間ずっと一緒で和気あいあい。すでにサッカーで飯を食っていくのはあきらめて、真面目に勉強していました。

そのかいあって、憧れだった東京大学理科一類に合格を果たす。入学して始めたのが、なんと合気道だった。「これからは国際社会になる。海外に行った時にニッポンを伝えられる何かを身に着けたい」というのが理由である。

中2の時、アメリカでホームステイをしたのです。英語はまったくしゃべれなかったけれど、見るもの聞くものが新鮮で。そんな経験もあって、大学に入ったら自分の稼いだお金で海外に行こうとずっと思っていました。

で、3年生の後半になると、道路の車線引きとか宅配便の仕分けだとかの割のいいバイトをして、20万円くらい貯めると2週間のバックパッカーです。アメリカもヨーロッパも東南アジアにも行きました。ものを盗られそうになったり、夜中にいきなりノックされたり、怖い目にも遭いましたね。マレーシアのホテルで寝ていたら、部屋の中でカシャカシャ音がする。恐る恐る電気をつけたら、見たこともないでっかいゴキブリが、ベッドの下に潜り込んで。あれが一番の恐怖だったかなあ。
ただそんな出来事の連続は、本当に飽きなかった。それに僕の英語は、バックパッカーを続けながら習得したようなものなんですよ。

当時はすでに機械工学系に進んでいたのですが、そこに進学する時は迷いました。「どっちにしようか」とかいうのではなく、「どこに行けばいいか」がわからない(笑)。最後は、機械工学なら将来つぶしがきくかなあ、くらいの気持ちでしたね。まあ振り返ってみると、昔から計算するより何かをガチャガチャつくっているのが好きなタイプでしたから、無意識のうちにそんな決断をしていたのかもしれません。

研究の面白さに開眼。そこで待ち受けていた壁

4年生になると、今度は研究室の選択を迫られる。ただし、この時は明確な希望があった。後に工学院大学学長を務めるロボティクスの第一人者、三浦宏文教授の講義に感激し、その門を叩いた……はずだったのだが。

三浦先生の講義は、朝8時半頃からでした。ダメダメ学生の私にとっては論外の時間帯でしたけど、受けてみたら一度で引き込まれてしまった。4年になって、「これが東京大学なんだ」と初めて感激したわけです(笑)。それで、絶対この先生に教わりたいと「機械Aコース」に入ったのですが、間抜けなことに先生は「Bコース」のほうだった。あきらめきれないので、先生に直接お会いしてお願いしようと、研究室で有名になるくらい通い詰めました。結果、助教授だった下山勲先生にお会いできて、なんとか”移籍”を認めてもらいました。

当時、三浦先生がやられていたのは、生物規範型ロボットです。生物の基本的な機能を解析し、それを基にロボットを設計していくという研究で、2足歩行もあれば、動物の4足、昆虫の6足もターゲットにしていました。

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大学3年の時、早朝に日帰りで富士山に登ることを思い立ち、
友人と人生初の登頂。右端が竹内氏

この三浦・下山研究室というのは、「研究テーマは自由に考えてやりなさい」という文化を持つのも特徴でした。それはいいのですが、初めのうちは何を考えたらいいのかがわからない。ヒントをくれたのは三浦先生でした。研究室では、その動きを解析したりするために、昆虫を飼っていました。ある時、「竹内君、これをじっと見て、その動きの本質を論文にしたらどうですか?」と言うのです。言われたとおりじっと観察していると、「君ね、これは触らなきゃダメなんですよ」と。ちなみに”昆虫”は、あのマレーシアで出会ったやつの仲間です。

ともあれ、最初に頭に浮かんだのは、電極を体内に埋め込んで、こちらの思いどおりに動かせたら面白いという、SFチックなアイデアでした。そのためにまず、脚を切り取って電気刺激で動かしてみることを思いつきました。やってみると確かに電気シグナルを1発与えるとポンと動く。でも、生きている虫のように滑らかな動きにはならないんですよ。

そこで、実際に動いている時に出る筋電位の信号を読み取り、コンピュータで再現したシグナルを入れてみた。すると、ポンポンと連続した運動になったのです。いやもう嬉しくて面白くて、夜も寝られなくなりました。紙コップを切り出してつくったボディにそれをくっつけて動かすというのが、僕の初めての研究成果。あれから20年ぐらいになるけれど、あんなに興奮したことは、後にも先にもありません。

成果は学会発表でも注目され、竹内はすっかり研究の虜に。しかし、そこで研究職にはありがちな壁にぶち当たる。「面白いのはわかった。では、その目的、意義はどこにあるのか?」という問いに、十分な答えを持っていないことに気づいたのである。

学会で「何の役に立つのかわからない」と指摘され、帰ってから先輩に「研究って、面白ければいいじゃないですか」と絡んでヤケ酒をあおったことも(笑)。まあそれからは、「何のための研究か」の説明を意識するようにして、そのための勉強も一生懸命やりましたよ。でも、ある程度ストーリーが語れると、周りの先生の評価が違ってくることを実感できた。「楽しければ十分」という学生気分を乗り越えるのには、いい経験でしたね。

実は博士課程に進んだ時に、もう一つ壁が現れたのです。いよいよ昆虫本体を制御して、それを博士論文にしようと目論んでいたのですが、「アカデミックにどこが面白いのか、博士の3年間では主張しきれないのではないか」という指導もあって、テーマの修正を余儀なくされたのです。これもけっこうなショックでしたけど、卒業が危ういとあっては仕方がありません。

そんな状況になってみると、やっぱり甘さはありました。そこまでは、「やったらできた」という自由研究の域を出ていなかったのです。どういう理論に基づいた昆虫の制御なのかを究明できなかったら、本当の意味で学術的な成果にはならないでしょう。

そこで、学術的基盤に根ざしてどんどん議論が広がっていくようなコア技術を自分の中に持とう、と頭を切り替えたのです。そう考えた時に目に入ったのが、MEMS(Micro Electro Mechanical Systems)でした。半導体の電子回路をつくる技術を応用した超小型デバイスで、ざっくりいえばマイクロ・ナノレベルの”動く構造体”です。バイオや化学の分野でも活用が始まっていて、研究室でも導入されていました。

この技術を、ずっと”見て触って”きた昆虫に取り込むことで、新たなものを生み出せないか――。行きついたのが、昆虫にMEMSでつくった電極を埋め込み、リアルタイムでその神経の電気計測を可能にしたシステムの開発でした。当初考えた制御ではなく計測でしたけど、それが僕の博士論文。一応、世界初となる成果でした。

– 次回②へ続く-

Profile

biographies01_3東京大学 生産技術研究所 教授 博士(工学)
竹内 昌治

1972年9月17日 東京都練馬区生まれ
1995年3月 東京大学工学部 産業機械工学科卒業
2000年3月 東京大学大学院 工学系研究科機械情報 工学専攻博士課程修了
2001年9月 東京大学生産技術研究所 講師
2003年5月 東京大学生産技術研究所 助教授
2004年3月 ハーバード大学化学科 客員研究員(兼務)
2008年4月 バイオナノ融合 プロセス連携センター センター長(兼務)
2009年4月 KAST人工細胞膜システム プロジェクトリーダー(兼務)
2010年10月 ERATO「バイオ融合」 プロジェクト 研究総括(兼務)
2014年4月 東京大学生産技術研究所 教授

主な受賞

文部科学大臣表彰若手科学者賞(2008年)
第6回日本学術振興会賞(2009年)
米国化学会分析化学若手科学者賞(2015年)など

2016年4月、研究室のメンバーと。工学者に加えて、医学、化学、生物学、経営学、芸術など、多様なバックグラウンドを持つ本格的な異分野融合研究室に成長している。前列右端が竹内氏

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