顔認識機能を無効化する眼鏡
スマホで撮影された写真に偶然自分が映り込む。その写真が知らないうちにインターネット上に投稿され、世界中に拡散された……「顔は個人情報の塊」だ。現在の顔認識機能をもってすれば、SNSなど数々の個人情報源と紐づけることはたやすい。自分が何者で、いつどこで何をしていたか、見ず知らずの第三者に暴露されているかもしれないのだ。国立情報学研究所と総合研究大学院大学で教授を務める越前功氏は言う。
高機能センサの普及で、サイバー空間と現実世界の境界が曖昧になっている。この境界で起こる様々な問題を解決するセキュリティ・プライバシー保護技術の確立を目指しています」
越前教授が発表した「プライバシーバイザー」は、その研究成果を社会に実装する試みだ。情報検索やSNSサイバーなど空間上の多種多様なサービスに対しても、被撮影者がこれを装着していれば顔認識機能による顔検出を無効化、プライバシー侵害を防ぐことができるという。
越前教授が着目したのは、顔認識の前処理として広く使われているViola-Jones顔検出器だ。人の顔が持つ明暗の特徴と照合するこの検出器を“失敗”させるにはどうするか。越前教授はまず目と鼻の周辺に11個の近赤外線LEDをゴーグルに取り付け点灯させた。肉眼では見えない光だが、カメラに対してはノイズ光源となり、着用時に顔面の明暗特徴が変わるため顔検出を失敗させることができる。2012年、この初代プライバシーバイザーは、海外300以上のメディアが取り上げるほどの反響を呼んだ。
「最初に報じたのは英国のBBCでした。ロンドンは世界で最も監視カメラが多い街。それだけに個人のプライバシー意識が非常に高いのです」
もっとも、LED使用では実用に堪えない。研究は次に電源不要の特殊な高輝度パターンをレンズ部分にプリント。これが目周辺の光を反射することで顔の明暗特徴を崩し、顔検出を防ぐというアイデアだ。アイウエアとしてのかけ心地やデザイン性も追求しようと、13年12月から福井県鯖江市の眼鏡製造業5社との協業を開始。試作段階では3Dプリンタが大活躍した。
「新プライバシーバイザーは、できる限り光をカメラ側に反射させるためにバイザー部分の角度を上向きにしています。通常、眼鏡のレンズは下向きですから、こういうフレームはどこにも売っていない。3Dプリンタのおかげで何回もつくり直すことができ、開発が加速しました」
鯖江市との協業で量産化、一般販売へ
量産化にあたっては、軽く強度が高いチタンフレームの採用を決定。だが反面、金型や加工費などのコストがかさむことがネックだった。その矢先、鯖江市が実施・運営するクラウドファンディング事業「FAAVOさばえ」による資金調達を市から持ちかけられる。結果、すぐに目標金額200万円を突破し、支援者は145名に上った。16年5月には、鯖江市の専門商社ニッセイが、同製品の受注販売を開始している。
「今、顔画像や音声の加工による他人への“なりすまし”や、人物の撮影写真から指紋を抽出することも可能といわれており、私の研究室でもなりすまし検知や生体情報の盗撮防止など、新たなセキュリティ技術の確立を急いでいます。今後、高機能センサやメディア処理技術の進展により、今まで考えられなかったセキュリティホールやプライバシー問題が顕在化してくるでしょう。私たち研究者が先取りして対策を練り、実装することで、想定されるセキュリティホールやプライバシー問題を社会に周知していきたいです」
サイバー空間と現実世界、双方のセキュリティ分野の専門家は多いが、越前教授はその境界線上を扱う希少な研究者の一人である。多くの開拓者がそうだったように、本人もまた好奇の目にさらされてきた。
「未知の領域を開拓していくのは研究者の本能だと思います。既存分野に参入して改善手法を提案するよりも、新たな研究分野を創りあげたいですね。プライバシーバイザーも、誰もやってこなかったからこそ、注目されているのです」
越前 功
教授 博士(工学)
えちぜん・いさお/1971年、横浜市生まれ。97年、東京工業大学大学院理工学研究科修士課程修了後、日立製作所システム開発研究所入社。2007年、国立情報学研究所コンテンツ科学研究系准教授。10年、独フライブルグ大学客員教授。独ハレ大学客員教授。14年より、国立情報学研究所教授、総合研究大学院大学教授。
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