緑茶が隠し持っていた”才能”に着目。
機能性表示食品「べにふうき緑茶」が、アレルギーに苦しむ人々の福音に!
日本の国民医療費の総計は40兆円超。今後も医療費の増加は確実で、その抑制が喫緊の課題となっている。カギを握るのは疾病を予防する取り組みだ。方策の一つとして脚光を浴びているのが、食品の有効成分がもたらす生体調節機能と健康増進効果。農研機構・食品健康機能研究領域長の山本万里氏は2005年、花粉やダニ、ハウスダストによるアレルギー症状を抑制する「べにふうき緑茶」の開発を手がけて話題を呼んだ。山本氏に、開発に至る長い道のりと今後のビジョンを聞いた。
一浪をきっかけに”リケジョ”へと大変身を遂げる
昨今、”リケジョ””ノケジョ”という言葉がもてはやされている。これは、理系あるいは農学系の大学などで学ぶ女子学生、あるいは女性研究者や理系女性社員を指す俗称で、山本氏はその先駆的存在といえる人物だ。しかし、山本氏はもともと理系を志していたわけではなかったという。
「中学や高校では、数学も理科も大の苦手。ただ、”研究者”という職業に対しては漠然とした興味を持っていて、高校時代、通学中にいつも目にしていた日立の研究所を憧れの眼差しで見つめていたことを覚えています。当時は考古学に興味があり、史学科を中心に受験したものの、すべて不合格でした」
浪人を余儀なくされた山本氏は、通い始めた予備校で転機を迎える。
「成績が振るわない私を見かねたのか、予備校の講師が”君はもしかすると理系のほうが向いているもしれない”とアドバイスしてくれたのです。試しに化学を受講したところ、講義がとても面白くて、すぐにのめり込みました」
秘めていた才能が開花し、その年の受験で見事に千葉大学園芸学部に合格。 “リケジョ”としての一歩を踏み出すことになった。大学時代は農芸化学を専攻し、その後に進んだ大学院では栄養化学を研究テーマに据えた。
「大学院では、実験用マウスに食物繊維を摂取させ、血中のコレステロールの変化を分析する研究に従事していました。研究を続けながらドクターを取得したかったのですが、師事していた教授から”公務員試験を受けるべき”とアドバイスされ、いったんは断念。現在と違い、当時の企業には理系女性の受け皿が少なく、就職が厳しかったためです。また、利益の創出が最大の目的となる企業では、目的を達成するために研究領域を絞る必要がありますが、公的機関ならじっくり研究に取り組むことができそうだと、魅力を感じるようになりました」
結果、国家公務員試験に合格した山本氏は、大学院修了後に農水省に入省。プロの研究者としてのキャリアをスタートさせた。入省から半年後、辞令で広島県の中国農業試験場へ赴任する。「また実験ができる!」と喜び勇んで現地へ乗り込んだものの、そこは”米”の生産技術などを研究する試験場だった。山本氏にとっては畑違いの分野で、当時を「何もできない自分に焦燥感が募った」と述懐する。「このままではダメだ」と一念発起した山本氏は、当時存在した「国内留学制度」を利用して九州大学へ。そこでの経験が、運命を大きく変えることになる。
「村上浩紀先生(故人)の下で、細胞の培養などを学びました。扱っていたのは免疫関連細胞で、そこに食品から抽出した成分を入れると”抗体”の産生量が上昇して免疫が強化されることがわかったのです。そこで、ヒトの免疫を増強させる食品成分の研究に夢中で取り組みました。この経験が、後の『べにふうき緑茶』の開発の土台になったと思っています」
九州大学から戻った山本氏を待っていたのは、静岡県にある旧野菜・茶業試験場への異動辞令。上司から与えられた課題は、「お茶が身体によいことを証明し、生産振興に貢献してほしい」というものだった。
メチル化カテキンがヒスタミンの放出を抑えることを突き止める
お茶には、がんを予防する作用や生活習慣病を抑える作用などがあると考えられ、以前から研究が盛んに行われていたが、お茶の専門家ではない山本氏は辞令に困惑した。最初はがんの予防作用を想定して研究を開始したが、ある日突然、「”アレルギー”をテーマにしよう」と思いつく。
「理由の一つは、当時、アレルギーを研究している学者が少なく、”人がやっていないことに取り組んだほうが、絶対に面白い”という研究者魂に火がついたこと。もう一つは、弟が重いアトピー性皮膚炎を患って入退院を繰り返していて、何とかしてあげたいと思ったことです」
山本氏は懸命に取り組み、毎年のように、アメリカ・サンディエゴの「ラホヤアレルギー免疫研究所」を訪れて実験手法などを学んだ。試験管内で簡単にアレルギー抑制効果をスクリーニングする方法をつくり上げると、それからは「茶葉を摘んでお湯で煮出し、試験管で確認する」という作業をひたすら繰り返した。数百に及ぶ品種を試したところ、紅茶や半発酵茶用品種の「べにほまれ」やその後代品種である「べにふうき」に抗アレルギー作用があることを見いだし、さらに、共同で研究に取り組んでいた静岡県立大学のチームが効果のある物質を特定することに成功した。その物質が「メチル化カテキン」である。
「メチル化カテキンはカテキンの一種で、お茶の茶葉に含まれるエピガロカテキンガレートやエピカテキンガレートといったカテキンの一部にメトキシ基がついたもの。べにふうきは、交配によって生まれた最もメチル化カテキンの含有量が多い品種で、このメチル化カテキンがアレルギーを抑制することがわかりました」
メチル化カテキンが抗アレルギー作用を持つことを突き止めた山本氏は、2001年、アサヒ飲料、森永製菓などとともに「茶コンソーシアム」というプロジェクトを立ち上げ、効果を示すメカニズムの解明とべにふうき緑茶の商品化に着手したが、一筋縄ではいかなかった。メカニズムの解明および商品化に際しては、大規模な「ヒト介入試験」の実施が不可欠。そのため大量の茶葉を栽培する必要があったが、当時、べにふうきの栽培を手がける農家は皆無に近い状態だったからだ。
「栽培面積を少しでも増やしてもらうために各地を奔走しました。自作したべにほまれの緑茶ティーバッグを全国の研究機関に配ったところ、たまたま鹿児島県の農業試験場でティーバッグを手にして飲んだ人が”アトピー性皮膚炎のかゆみが収まった”と報告してくれたらしく、その話が『南日本新聞』に記事として掲載されました。それが契機となり、まず鹿児島県が協力してくれることに。さらに、アサヒ飲料さんが農家に対して茶葉を買い上げる約束をしてくれたおかげで、鹿児島県でべにふうきの栽培が一気にスタートしたのです」
通常、花粉症などのアレルギー症状を誘引するのは、皮膚や粘膜などの組織に分布する〝マスト細胞〟だ。アレルギー原因物質に反応したマスト細胞は、ヒスタミンなどの生理活性物質を放出して、周辺に炎症を引き起こしてかゆみや不快感をもたらすが、メチル化カテキンはマスト細胞内に入り込んで「敵が侵入した」という誤った情報を伝える情報伝達系や、マスト細胞を刺激しようとする受容体の発現を抑える。さらに、マスト細胞上にあるカテキン受容体に結合するなどしてヒスタミンの放出を抑制するため、花粉やダニ、ハウスダストなどに起因するアレルギー反応が抑えられるのである。
「ヒト介入試験により、べにふうきから煮出した緑茶を長期にわたって飲用すると、アレルギー原因物質を付着させる受容体そのものが減少するため、例えば、春先に花粉が飛散してきても反応しなくなることがわかったのです。およそ70~80%のアレルギー反応を抑えるという結果が得られています」
緑茶では初の快挙!
機能性表示が認められた「べにふうき緑茶」
その後、緑茶に加工すると渋味が強くなってしまう「べにふうき」を摂取しやすい飲食品に改良する研究を行った末、晴れて05年にアサヒ飲料、森永製菓からペットボトル飲料や菓子などが相次いで発売された。話題性は高かったものの、当時はなかなか浸透しなかった。法的な規制により、べにふうき緑茶のアピールポイントであるはずの「アレルギーを抑制する効果」の直接表示ができなかったからである。
状況が一変したのは、15年。規制緩和により、論文などの科学的なエビデンスを示せば、国の審査を経ずに健康への効用を表示できる「機能性表示食品制度」がスタートし、悲願であった「ハウスダストやほこりなどによる目や鼻の不快感を軽減する」という機能表示が認められたのだ。緑茶では日本初の快挙であり、現在、アサヒ飲料の「アサヒめめはな茶」、JAかごしま茶業の「べにふうき緑茶」が機能性表示食品として販売されている。
「花粉症などのアレルギーに悩む多くの人に飲んでもらいたいと思っていましたから、とても嬉しかったですね。売れ行きも伸び、16年は前年比+241%を達成しました」
お茶に限らず、どんな食品も、人が生きるために必要な栄養機能と味を追求する感覚機能、健康の増進に寄与する生体調節機能を有している。肉体的・精神的な負担を伴う薬と違い、日常的に摂取できる食品の機能性成分によって疾病を未然に防ぐことができれば、我々個人はもちろん、社会にとっても願ってもないことだ。べにふうき緑茶の開発が一段落した山本氏の次なるビジョンは、実はそこにある。
「〝今日は身体の調子がいまいち〟といった軽度不調に移行するタイミングをつかまえ、そこから健康な状態へ復帰させる新たな健康機能食品の研究に取り組みたい。簡便な健康評価装置をはじめ、健康評価から食材や食品の供給システムまで、幅広い分野に挑戦していきます。それらを使って、人の健康増進に寄与する機能性農産物や食品を開発し、健康増進効果を証明したうえで、誰もが健康長寿を実現できるような食生活のプラットフォームをかたちにする――、〝一億総ピンピンコロリ社会〟の実現が目標です。健康なまま長寿を全うできればこれに勝る幸せはないですし、医療費の増大にも歯止めをかけることができるはずですから」
最後に、若い研究者に向けて次のようなメッセージを寄せてくれた。
「研究には、多くの人の協力が不可欠。だから、出会ったすべての人との縁を大切にしてほしいです。成果が出ないと、人はつい〝設備が貧弱だから〟など環境のせいにしがちですが、設備がなければ借りればいいだけのこと。それを貸してくれるのも人ですから、出会った人と誠実に向き合い、信頼関係を軸としたネットワークを構築するべき。そして、〝最後まで決してあきらめないこと〟。私自身、〝念ずれば花開く〟の精神で研究にまい進してきました。口で言うほど簡単ではありませんが、秘訣は〝とことん楽しむこと〟です」
やまもと・まり
農業・食品産業技術総合研究機構
設立/2001年4月
代表者/理事長 井邊時雄
研究職員数/約1900名(2016年3月末現在)
所在地/茨城県つくば市観音台3-1-1
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