電解質膜の簿膜化と強度維持を両立
一流の登山家やクライマーは、より高い頂や困難な岩壁を目指すが、時代の最先端を切り拓く研究者にも同様の資質が求められる。その一人、首都大学東京の川上浩良教授も、「一番高い山を登る」ことを研究室のモットーにしているという。
「最初から大きな志を持って高い山を目指さなければ、世の中を変えるような研究成果は得られません。学生にも、ふだんからそう伝えています」
そう話す川上教授の研究フィールドは、機能性分離膜、超分子システム、エピジェネティクス工学など実に幅広い。その中で、世界トップクラスの実績を残しているのが、「水素エネルギー社会」を実現する燃料電池の電解質膜の開発である。
「昨年の“COP21”でパリ協定が成立し、世界の平均気温上昇を2℃未満に抑えることが定められました。この目標を達成するにはCO²の排出を大幅削減する必要があり、それには“水素”を主エネルギー源とする社会への転換が不可欠です」
水素社会の実現には、水素を“つくる”“運ぶ”“使う”という3つの分野で技術革新やインフラの整備が求められる。このうち、川上教授は“つくる”“使う”分野を中心に手がけ、特に“使う”分野では世界をリード。自動車に搭載される燃料電池の主要部材である高分子電解質膜を研究している。
「燃料電池の発電には、水素のプロトン(陽子)が電解質膜を移動する必要があり、その速度が速いほど発電効率が高まります。速く移動させるためには、強度を保ちながら膜を薄くしなければならない。そこで、新規の設計指針や合成方法を考案し、燃料電池の固体高分子電解質膜とナノファイバー技術を組み合わせたハイブリッド型電解質膜を開発しました」
従来の電解質膜の厚さが10~15ミクロン程度だったのに対し、川上教授が開発した電解質膜はわずか2ミクロン。大幅な薄膜化と強度維持の両立により、燃料電池の低コスト化、小型化を実現。燃料電池車普及の切り札として期待されている。しかも、このハイブリッド型電解質膜の優れた点は、リチウムイオン電池など他の次世代電池にも応用できる“プラットフォーム技術”になり得ることだという。
「この技術を用いれば様々な電池で求められる長寿命化、膜安定性、コスト削減などの要求を満たすことができます。さらに、各企業が開発中の高分子膜材料とナノファイバーを組み合わせ、燃料電池や二次電池の性能をさらに引き上げることも。このプラットフォームの応用が進めば、日本発の世界標準技術としてエネルギー革命を起こすことも不可能ではないと考えています」
0から1を生み出しそこから5を目指す
水素社会の実現に向け、東京都は2020年の東京オリンピック・パラリンピックまでに、燃料電池車など水素関連技術の利用拡大への取り組みを進めている。それを学術面と政策面から支援する目的で、16年に「水素エネルギー社会構築研究センター」が発足。川上教授も主要メンバーに名を連ねている。
「水素は、水やメタンなど様々な材料から生成できます。水素エネルギーの利用が実現・普及すれば、日本は地産地消でエネルギーを賄える。しかも、水を分解して水素を生成し、それを燃料電池に使えば再び水が生成されるため、完全な循環型社会が実現できます」
クリーン社会を目指すために、川上教授は基礎研究から一歩踏み込んだ実用研究も積極的に支援しているという。
「研究には、“9を10にする研究”から“0を1にする研究”まで、様々なレベルがあります。当研究室は、最も困難な“0を1にする研究”を志向していますが、実は、それだけでは研究は前進しません。“0を1にし、それを5に引き上げる”ことができて初めて、実用化への道を並走してくれる企業などの協力、オープンイノベーションが実現します。もちろん苦労は多いですが、そのぶんやりがいも大きい。誰も見たことがない素晴らしい風景を、未来の人々に届けたいのです」
川上教授が見据える頂は高く険しい。しかし、その到達が地球環境を守る技術をもたらしてくれることは間違いないだろう。
川上 浩良
教授 博士(工学) 学長補佐
かわかみ・ひろよし/1960年、東京都生まれ。早稲田大学大学院理工学研究科応用化学専攻博士課程修了後、米国シラキュース大学客員研究員に。東京都立大学(現首都大学東京)助手を経て、同大大学院教授、同大大学教育センター副センター長、同大水素エネルギー社会構築推進研究センター副センター長。日本膜学会膜学研究奨励賞、Who’s Who in the Worldなど受賞多数。
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