Read Article

【研究者の肖像Vol10】人生で何をしたかは、肩書よりはるかに重要。目指すべきは「オンリーワン」で、夢と自分を信じ続けてほしい 伊丹健一郎

人生で何をしたかは、肩書よりはるかに重要。
目指すべきは「オンリーワン」で、夢と自分を信じ続けてほしい
名古屋大学 トランスフォーマティブ生命分子研究所
拠点長・教授 博士(工学)
伊丹健一郎

名古屋大学が世界に誇る異分野融合国際研究所・ITbM(トランスフォーマティブ生命分子研究所)。拠点長として全体を統括する伊丹健一郎は、合成化学を専門に、ここで日々研究を重ねている。ナノカーボン類や触媒研究などで画期的な成果を挙げ続けてきたなか、2016年9月には「カーボンナノベルト」の合成に世界で初めて成功。長年、多くの化学者の挑戦を退けてきた〝夢の分子〞だけに、その合成成功のニュースは文字どおり世界を駆け巡った。次世代材料として期待される「カーボンナノチューブ」の高機能化にも道を開いたこの成果は、伊丹自身にとっても研究生活の集大成となったが、「これはゴールではなく、あくまでも始まりの一歩」。今日も次なる研究に意欲を漲らせている伊丹の夢は、「世界を変える分子をつくること」だ。

高校3年生の時に出合った「ベンゼン」が行く道を決定づける

伊丹は、父親が大学院時代を過ごしたアメリカで生まれた。主に東京・多摩市で少年時代を過ごしたが、父親のスタンフォード大学赴任に伴って分断的にアメリカでも暮らした。早くに海外を経験した影響もあるのだろう、物怖じしない伊丹少年は溌剌そのもの。外ではサッカーや野球に明け暮れ、家ではレゴブロック、スーパーカーに夢中になりと、いかにも男の子らしい日々を送っていた。

Image Alignment 300x200

本取材は、2017年8月23日、
名古屋大学東山キャンパス構内にある
トランスフォーマティブ生命分子研究所(ITbM)
で行われた。2015年に竣工したITbM棟の
エントランスロビーで学生、研究者たちと

親から言われていたのは「人への思いやりや感謝の気持ちを大切に」ということで、「勉強しろ」は一度もなかったですね。好きなことを存分にやりながら、時に、将来はパイロットかプロ野球選手になると口にしていた、まぁわかりやすい子供で(笑)。

とはいえ、実際には〝これ〞という夢がなく、ある時、父に「将来何をしたいのかわからない」と言ったことがあるんです。そうしたら「小学生なんだから、何も知らないのは当たり前だ」と怒られ、さらには「新宿に行ってこい」と。林立するオフィスビルを見て回れば、どれだけ多くの会社や仕事があるか、わかるというわけです。僕、弟と一緒に歩き回りましたよ。確かに、新宿にはすごい数のビルがあって、そこには様々な職業に就く人たちがひしめいていた。何をしたいか見つかったわけではないけれど、この一件で「可能性はたくさんある」と考えるようになりました。

僕は、こういうユニークな父がとても好きで、尊敬しているんですけど、思春期の頃ってそれが裏返しになるというか、意識するがゆえに違う道に進もうとするものです。結果的には同じアカデミックな世界に入りましたが、経営学を専門とする父は文系だから、自分は理系にと、進路については影響を受けたように思います。

実際、伊丹は理系科目を得意としていたが、聞けば意外にも「化学は大嫌いだった」。化学は〝説明なしの暗記もの教科〞にしか映らず、辟易していたそうだ。しかし、高校3年生の時に「ベンゼン」と出合ったことで話は一変する。有機化合物の象徴であり、様々な機能を導くことができるベンゼンに、伊丹は心底魅せられたのである。

何がすごいって、ベンゼンは一つ、二つの化学変換でいろんなものになるわけです。医農薬、香料、染料、あるいはエネルギーや電子材料など、様々に化けていく。まさに〝バケ学〞。ベンゼンは機能と発見の宝庫であることを知った時に、化学は最高にクリエイティブな学問だと感じたのです。ベンゼンの魅力に気づかなければ今の道に進むことはなかったから、本当に運命的な出合いでしたね。
化学の道に進みたいと考えた僕は、受験先を京都大学一本に絞りました。

やっぱり、福井謙一先生のノーベル化学賞受賞とか、憧れるじゃないですか。だから当時は、福井先生がいらした石油化学科を意識していたのですが、調べてみると、合成化学科という学科が目に飛び込んできた。案内にあった「新しい物質を生み出すフロンティア」という文言に、おおーこれだ!と。ちょうど、将来的に石油が枯渇するという話を知った時期です。車好きの僕としては深刻な問題なので、ならば合成化学を学び、ガソリンに代わる燃料分子をつくればいいって。その名前は、僕の姓を取った「イタミン」(笑)、そんなことまで夢見ていました。

こうなると、京大に進学してからは学問にまっしぐら……と思うでしょ?ところが、教養学部時代は遊んでばかり。京大は放任主義だから、多くの学生は堕落していくんですよ(笑)。僕も飲み会に麻雀、サークル、女の子と遊ぶ毎日で、もう本当にどっぷり。大学にもほとんど行かないから、進級ギリギリの落ちこぼれでした。でも、京都の水は合ったし、独り暮らしで自由気まま。ものすごく楽しかったですね。

※本文中敬称略

合成化学という究極のものづくりの世界に魅了される

合成化学への熱い思いは、しばらく棚上げになっていたが、4年生の時、学科内で最も厳しいとされていた伊藤嘉彦教授の研究室に所属したことで、伊丹は〝目覚める〞。研究に没頭し、世界の最先端を走っている先輩たちの姿を見て、「先輩たちと同じ景色を見たい」――そう思った伊丹は、ここから猛烈に走り始めたのである。

Image Alignment 300x200

伊藤研に入ったのは、実はジャンケンに負けた結果なんです。学生たちは皆、どこの研究室に行きたいか希望を出すのですが、そこの人員枠からあぶれるとジャンケンで決めることになる。僕、2回連続で負けちゃって。で、図らずも大変な伊藤研に入ったわけですが、これが結果、大正解。そこには、高校生の時に描いていた感動の世界がありました。もし、別の研究室に行っていたら人生変わっていたでしょう。周囲からもよく言われますが、僕は本当に〝引き〞が強い。以降の研究者人生においても、人や場に恵まれてきたので、あらゆることに〝ついている〞としか言いようがないですね。

そのまま大学院に進み、そこからは中毒と思えるほどに研究や実験に没頭しました。フラスコの中にAという分子とBという分子を入れて、化学反応を仕かけるとカチャンと結合して、結果、それが世界初の分子だったりすると……もうたまらない。「俺しか知らない分子なんだ!」みたいな(笑)。自分のアイデア次第で何でも、かつ際限なくつくれるわけです。それって、究極のものづくりじゃないですか。ナノの世界における建築のようなもので、僕の好みにはドンピシャでした。

もちろん、大半は失敗するんですよ。100回実験したら99回失敗する。だから1日に1回しか実験しなければ、感動には稀にしか出合えないけれど、1日100実験すれば毎日ドキドキできる。まぁ少々乱暴な理屈ですけど、僕は体力には自信があるので、それくらいの勢いではまっていったという話です。偶然の発見もあれば、あらかじめある程度の機能を見立ててつくったものもある。あるいは新しい化学反応、つまり接着剤の役割を果たす触媒を見つけたという経験もしました。それまでになかったものを生み出す〝快感〞に、僕は虜になったというわけです。

博士後期課程中に留学したスウェーデンで、将来を考えた伊丹は「アカデミックにいく」ことを決めた。向き不向きではなく、自分に好き嫌いを問うて選んだ道だ。「純粋に研究を続けたかったし、学生とまみれるのも好きだから」と伊丹は振り返る。修了後は京都大学大学院工学研究科の吉田潤一教授の下で助手を務め、〝一人前の研究者〞になるべくトレーニングを積んだ。

当たり前ですが、学生時代とは違って本当の意味での自分の研究がスタートするわけです。「研究テーマはこれ」「ゴールはこれ」「こういうことを大事にしている」といった自分のアイデンティティを構築しなければなりませんから、もがきながら模索を続けた大変な時期ではありました。

6年ほど経った04年秋のこと、僕のもとに思わぬ話が舞い込んできました。始まりは、生涯忘れることのない一本の電話からです。当時、名古屋大学理学部の教授だった上村大輔先生からのもので、「野依研究室に来る気はありませんか?」と。ノーベル化学賞を受賞された、あの野依良治先生の研究室で准教授を求めているというのです。まさに晴天の霹靂。世界でぶっちぎりの研究力を誇る名大の理学部化学科で、研究ができるという絶好のチャンスに体が震えました。聞くところによれば、この前年、名大のシンポジウムに招待されて話をした僕のことを「面白いヤツ」として、覚えていてくださったようです。

でも一方で、最初は野依先生の意図するところがよくわからなかったし、すでにノーベル賞を取った先生の仕事の単純なお手伝いなら……面白くないという思いもあった。生意気にもね(笑)。悩んだ末、僕は研究者人生を懸けるに値するオンリーワンの研究テーマを必死に考え、それを手に面接に臨むことにしたのです。その研究テーマの一つに設定したのが「純正CNT(カーボンナノチューブ)の完全化学合成」です。

野依先生をはじめ、居並ぶ化学科の教授陣を前にプレゼンした時、僕の非常識な提案に様々な意見は出たものの、野依先生は「美しい、そして大きなテーマだ」と激励してくださった。どこかで僕は「くそ生意気なヤツ」だと、面接で落とされる覚悟をしていたのですが、実は逆で、まさにそういう人材を求めていたという話。本当に引きが強いでしょ(笑)。間違いなく僕の人生を変えた衝撃的な出来事でした。

※本文中敬称略

自由かつ異分野融合の研究環境の下で生まれた〝世界初の成果〞

名古屋大学に着任したのは05年2月。追ってすぐに「伊丹グループ」が誕生し、伊丹が持ち込んだオンリーワンの研究テーマの下、研究がスタートした。前述の純正CNTの完全化学合成を目指した「カーボンナノリング」と「カーボンナノベルト」の合成が、当初掲げた目標である。

Image Alignment 300x200

着任した時、僕の手元には京大在籍時に採択された科研費90万円しかなかったんですよ。これでは話にならないと思っていたところ、JST(科学技術振興機構)で新しいさきがけプロジェクトがスタートすることを知り、それこそ死に物狂いで申請しました。この段階ではノーデータですし、面接では「クレイジーな提案だ」と言われましたが、奇跡的に採択していただいた。さきがけにお世話になった期間中には成果を出せなかったけれど、アドバイザーの先生たちから「ホームランを狙え」と励ましてもらえたのも大きかった。このさきがけに採用されていなかったら、僕らのプロジェクトはとっくの昔に終わっていたと思います。

次世代素材であるCNTの最小構成単位・カーボンナノリングをつくることに成功したのが09年。そして、このリングを起点に伸ばしていく方法で試行錯誤を重ね、4年後に成功したのが直径の定まったCNTの合成です。いずれも世界にインパクトを与えた成果で、僕らにとっても大きなブレイクスルーになりました。ただ、CNTの構造が100%単一のものになっていないのが課題なんですよ。

我々のゴール目標である100%純度のCNT合成に向けてカギを握るのが、昨年、世界で初めて合成に成功した「カーボンナノベルト」。CNTはあらゆる産業分野から注目されている機能性素材で、強度は鉄の20倍、熱や電気の伝導率が高く、おまけにとても軽い。この純正CNTを大量生産できれば、社会は大きく変わるでしょう。ところが、その大量生産には課題がある。一口にCNTといっても様々な構造が存在し、構造が異なると性質も変わってくるから、特定の構造を持ったCNTだけを合成することは、ものすごく難しい。この問題を解決するカギとなるのが、カーボンナノベルトなのです。

「名古屋大チーム、『夢の分子』カーボンナノベルトの合成に成功」――このニュースは世界を沸かせた。初めて文献に登場してから約60年。世界中の化学者が合成に挑戦してきたが、ベンゼン環が筒状になることで大きな歪みが生じるため、合成は極めて困難とされてきた。伊丹たちの研究チームは12年の歳月をかけて、この夢の分子の合成に成功したのである。

忘れもしない16年9月28日。大型モニターにカーボンナノベルトの完璧な構造が現れた時、皆が「ウワーッ!」と雄叫びを上げ、それはもう大騒ぎでした。最終的には、石油成分であるパラキシレンを使って、11段階の化学反応を経ることで歪みが出ないよう改良し、合成することができたんですけど、それまでどれほどの試行錯誤を繰り返してきたか……。あきらめず、しつこくコツコツとやり続けてきたからこそ。研究員、スタッフ、学生たちなど、関係者全員で勝ち取った成果です。

でもこれはゴールではなく、始まりの第一歩。僕が12年前から提唱しているように、カーボンナノベルトは、純正CNTの合成を実現する鋳型のような分子なので、これからが本番なんです。歴史を紐解けば、「新しい炭素のかたち」の発見には必ず新しい科学・技術への応用展開がある。サッカーボール状の構造をもつフラーレンという分子が好例で、僕は、これとカーボンナノベルトは似ているんじゃないかと。発見当時は予想すらされていなかった破格の物性や機能が続々と明らかになったフラーレンと、同様の発展を期待しているのです。そのためには皆に使ってもらって、かつ機能を見つけてもらうこと。すでに、試薬会社によるカーボンナノベルトの市販化が進んでいますが、世界中の大学や企業の研究者が研究を行うことで発展していってほしい。生み出した分子は子供のようなもの。親としては、早く一人歩きをして活躍する様を見たいわけ(笑)。それが、僕らの理想とする姿なんですよ。

※本文中敬称略

「世界を変える分子をつくる」。変わらぬ夢に向けて走り続ける日々

 名古屋大学ITbMの拠点長として全体を統括する伊丹は、「これまでにない研究所をつくる」という熱い思いを胸に、その開設に尽力した。誕生したのは合成化学、植物科学、動物科学、理論科学を融合した、世界にも類を見ない研究所だ。現在の陣容は約200名。異なる分野の研究者、学生たちが国内外から集まっており、「ミックスラボ」と呼ばれる新しいスタイルで独創的な共同研究が進められている。

 ビジネスと同様、研究も境界領域でイノベーションが起きたり、発見を得る可能性が高い。だから壁を取っ払って国内外から横断的に研究者を集め、異分野融合を図ったのです。食糧やエネルギーなどの人類が抱える問題に「分子で答えを出したい」「新しい研究領域を開拓したい」。ITbMは、その一心から、信頼し合える仲間と共にゼロからつくった研究所です。

ITbMがWPI(世界トップレベル研究拠点プログラム)に採択されたのは12年の秋です。このWPIに関しても挑戦的な応募だったんですよ。名大は比較的小さい大学ながら、目立っている人たちが集結しているので、WPIへの応募を他の先生方に勧められた時、「面白いことをしようぜ」と。そもそも合成化学と植物・動物科学の融合など例がないわけだし、すごいタッグを組めるのは十分予想できたので「いけるぞ!」という話になったわけです。興奮そのままに、皆で申請書を書いたのを覚えています。

WPIといえば、いわゆる大教授たちがズラーッとそろって〝通るもの〞、それが常識でした。僕らはといえば40歳代中心のピヨピヨ(笑)。野依先生にも言われましたよ。「ほかのWPIはメジャーリーガー、君らは少年野球だろ」って。先生は、そういうと僕がさらに燃えることを知っているから……。結果は採択となりましたが、実際、よく通ったものです。大きなプロジェクトですからね、もちろん成果への期待が大きく、調整も簡単ではないけれど、あまり惑わされないで生意気なままずっと続けていきたいんですよ。だって人生1回きりでしょう。毎日ワクワク、ドキドキやりたいじゃないですか。     

「趣味は化学」と言い切る。「毎日好きなことをして、ご飯食べられるって幸せですよ」。ベンゼンに魅せられた頃から変わらない夢は、世界を変える分子をつくることだ。そのために、ものをつくる扇の要である合成化学の分野で〝絶対的な匠〞になりたいと願い、研鑽を重ねている。

Image Alignment 300x200

ここの本棚には『ドラえもん』全巻がそろっています。教授室にあるなんて珍しいでしょ?(笑)。僕の教科書みたいなもので、ドラえもんに出てくる秘密道具全部がネタなんですよ。あれら道具が本当に実現する分子をつくったら、それが世界を変える分子。実際、携帯電話とかグーグルマップとか、道具のいくつかは実現していますよね。今、僕たちが研究を進めているものが開発できたら、「これから実現するね」と思える道具もあります。あのドラえもん的発想が、僕の目指しているところに一番近いような気がするんです。

分子がもつすごい力、分子をつなげて価値を生む合成化学の力。僕はそれをとことん信じているのです。そう、信じて走り続けることが大事。思うような環境に恵まれない研究者は、いつの時代にも一定数いるので、無責任なことは言いたくありませんが、でも「ある日突然王子様、お姫様」ということは本当にあるから、信じてあきらめず、夢を持ち続けてほしいと思う。 
そして、ユニークな存在を目指すことも大事です。研究者人生においては、論文や実績などの量的なプロダクティビティが評価対象になる時期があるけれど、いずれ「オンリーワンか否か」が問われる場面も確実に出てくる。少なくとも僕は、ユニークになりたいと思い続けてきました。人生で何をしたかは、肩書よりうんと大切ですからね。僕は、高校生の時にすでにネーミングした「イタミン」を生み出したい。何をもって世界を変えるのかはまだわからないけれど、ずっと探している。自分のなかで「これだ」と思える分子と出合えるまで、僕は走り続けますよ。

※本文中敬称略

Profile

biographies01名古屋大学 トランスフォーマティブ生命分子研究所 拠点長・教授 博士(工学)
伊丹健一郎

1971年4月4日 米国ペンシルバニア州 ピッツバーグ市生まれ
1994年3月 京都大学工学部 合成化学科卒業
1998年7月 京都大学大学院 工学研究科 合成・生物化学専攻 博士後期課程修了
   10月 京都大学大学院 工学研究科 合成・生物化学専攻助手
2005年2月 名古屋大学物質科学 国際研究センター助教授
2007年4月 名古屋大学物質科学 国際研究センター准教授
2008年6月 名古屋大学大学院 理学研究科教授(現任)
2013年4月 名古屋大学 トランスフォーマティブ 生命分子研究所 拠点長・教授(現任)
   12月 JST-ERATO伊丹 分子ナノカーボンプロジェクト 研究総括(現任)

URL :
TRACKBACK URL :

コメント

*
*
* (公開されません)

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)

Return Top