微細な振動からリスクを察知する
〝移動〞は、人間にとって必要不可欠な活動である。それを実現するモビリティは、歩行から自転車、鉄道、船舶、航空機まで多岐にわたり、人類はこのモビリティとそれに付随する社会インフラを進化・拡充させることによって、〝移動〞のスピードや質を高めてきた。東京大学生産技術研究所の中野公彦准教授は、様々な手法やノウハウを用いて、より安心・安全で人間に優しいモビリティの創出を目指した研究を推進している。
「私の経歴は少々異色です。東京大学在学中は、アクティブサスペンションによる車両の振動制御や、振動を利用した発電器の研究を。卒業後の6年間は、山口大学で脳の局所冷却によるてんかん放電の抑制など医療分野の研究に従事。両者の関連性は薄いように見えるかもしれませんが、〝波形〞を扱う点で一致しています。現在は、そこで培った技術やノウハウを、モビリティにおける計測と制御の研究に応用しています」
そんな中野准教授の研究内容は実に多彩だ。その一つに、筋電位測定による自動車の乗り心地評価がある。
「運転時のドライバーの筋電位と自動車の横加速度との相関を調べ、車体のボディ剛性が低く揺れやすい自動車ほど、ドライバーの筋肉の収縮活動が活発になることがわかりました。つまり、生体信号である筋電位を測定することにより、その自動車の乗り心地の良し悪しや改善の余地がわかるわけです」
そのほかにも、山口大学で培った脳波解析のノウハウを生かし、自動車や鉄道などの振動計測に、独立成分分析法を適用した研究も手がけている。
「例えば、鉄道の車体や線路、トンネルなどに細かな亀裂などが生じると、人が感知できない微小な振動が発生します。各所にセンサーを設置してその信号を捕捉・解析することで、振動源を特定して異常を事前に察知するノウハウを構築しています」
我が国の社会インフラは老朽化が進んでおり、トンネルの崩落をはじめ、過去には痛ましい事故も発生している。昨年末には、新幹線「のぞみ」の台車に亀裂が生じていることが発覚し、大きな問題になった。中野准教授が考案した信号処理法を各モビリティに導入すれば、経年劣化に伴うリスクを早期に察知できる可能性があることから、大きな注目を集めている。
誰もがモビリティを確保できる社会を
多岐にわたるモビリティの中でも現在、自動車は大きな転換期を迎えている。キーワードの一つは、「自動運転」である。自動運転のレベルは5段階で定義されており、レベル5の「完全自動化」の実現はまだ先だが、そこに至る移行期間では、ドライバーによる車体の操舵や監視が不可欠だ。つまり、ある条件下では自動運転、それ以外の場面ではドライバーによる運転を使い分ける必要がある。中野准教授は、自動・手動のスムーズな切り替えを実現するための運転支援の研究にも注力している。
「自動走行から手動走行への切り換え時、ハンドルを握るドライバーの手に負荷が急激にかかると危険なため、トルクの調整によりハンドル操作を自然にアシストする機能が必要です。また、自動運転や長距離の漫然運転は眠気を誘発しますが、眠気を感じ始めた時に、ステアリング操作から眠気を推定して事故を回避する技術の開発にも力を入れています」
これら多種多様な研究を〝深化〞させることにより、「すべての人にとって快適で安全なモビリティを実現すること」が中野准教授の願いだという。
「高齢化が進展している日本社会では今後、高齢者の移動手段の確保が重要な問題になるはず。誰もがモビリティを利用できる社会を目指すには、運転できなくなっても移動を可能にするモビリティを確保することはもちろん、運転能力が低下したり脳疾患を発症したりした高齢者でも安全に運転できる自動車が必要です。運転支援の研究を推進することにより、運転を継続できる人が増えるような安全な自動車と社会インフラの構築に貢献できれば、それに勝る喜びはないですね」
中野 公彦
准教授 博士(工学)
なかの・きみひこ/2000年、東京大学大学院工学系研究科博士課程修了後、山口大学工学部機械工学科助手。05年、英国・サウサンプトン大学客員研究員。06年、山口大学大学院医学系研究科助教授、東京大学生産技術研究所助教授。07年、東京大学生産技術研究所准教授。10年、東京大学大学院情報学環准教授。
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