常にアンテナを張っておこう。人と会い、話し、手を携える――。
門戸を開けば、研究者人生は豊かなものになると思う
国立研究開発法人情報通信研究機構
未来ICT研究所 主管研究員・フェロー
博士(理学)
大岩和弘
生物の運動をつくり出す「タンパク質モータ」を専門とする大岩和弘は、30年以上にわたってこの研究領域に専心してきた。大学院生の時、真核生物の鞭毛・繊毛の〝美しい動き〞に魅せられてからというもの、「なぜ動くのか」のメカニズムと機能解析に取り組み続けている。鞭毛の力学特性を直に計測する技術開発に始まり、タンパク質自体を用いて、その単一分子の機能を物理化学的に測定する実験システムを開発するなど、それら成果に対する国際的な評価も高い。タンパク質モータ、中でも近年、医学的重要性が高まっているダイニンの研究分野をリードする大岩は、今日も〝現場〞を重んじながら研究に全力を傾けている。
子供の頃からの興味・関心そのままに、道を真っ直ぐ歩む
ジャンルを問わず「生き物大好き」な大岩少年が夢中になったのは、昆虫や魚を捕まえたり、育てること。幼少期を過ごした埼玉県・蕨市の豊かな自然は、生き物に対する好奇心を十分に育んでくれた。そして、小学生の頃からものづくりにも強い関心を寄せていた大岩は、典型的な理科少年。研究者としての素地は早くからあったようだ。
小学校の途中から千葉市に引っ越したのですが、理科好きな仲間に恵まれたことで、ものづくりへの興味が強くなっていきました。一番の愛読書は『子供の科学』。「好きなことを自由に」と思ったのか、親父も化学実験キットや子供向けの光学顕微鏡を買い与えてくれて。強く記憶に残っているのは、自分でコイルを巻いてゲルマニウムラジオをつくった時のこと。最初は全然聞こえなかったのですが、ダイヤル式電話機の指止めにアンテナ線を巻き付けたら、突如放送が聞こえてきた。感激しましたねぇ。自分がつくったものが〝動く〞面白さを知った、いわば原体験です。
受験して入った中学は千葉大学教育学部の付属で、ある意味、教育の実験校だったんです。ここには、電気工作が得意だとか、音楽や絵画に秀でているとか、才能あふれるすごい子が集まっていて、ものすごく刺激を受けました。加えて、授業には実験や実技を重んじるものが多かった。理科系はもちろんのこと、例えば技術家庭科では旋盤を使った金工をやったり。近頃では「危険だから」と実験や実技は減ってきていますが、やっぱり「手を動かしてなんぼ」。この時代に習得した知識や技能が後々役立ったのは確かですし、私の研究者の〝基礎の基礎〞はここで得られたような気がします。
県立千葉高等学校に進学してからも、実験や実習の多い理科の授業に触れた大岩は、ますます生物学の面白さに惹かれていく。一方、本気で没頭していたのは、小学校時代から続けてきた野球である。「甲子園を目指した」千葉県大会では最高ベスト8まで進出。まさに文武両道、大岩は存分に燃焼した。
3年の時はピッチャーとしてマウンドに立ったんですけど、開幕初戦で敗退となり……悔しかったですね。緊張から足がガクガク震えたというのは、後にも先にもこの時だけ。そういう経験も含め、私は野球を徹底してやり抜いたことで人生を戦う体力、気力を得たと思っています。多少のことではへこたれませんから。
千葉高は「浪人して一人前」みたいなムードがあったので、3年の夏まで野球に打ち込んでいました。将来についても漠然としていて、一時期は医者への道を考えたこともあるものの、人の命を預かるのはおっかないなぁと。そんな頃、野球部の顧問だった先生が「生物が好きならここがいい」と、私を東京大学の生物学教室に連れて行ってくれたんですよ。で、先生の期待というか洗脳を受けて(笑)、私は素直に受験することにしたわけです。急な受験勉強で浪人覚悟でしたが、運良く合格することができました。
駒場は通学するには遠く、親元から独立したいという気持ちもあったので、ここからは寮生活です。それまで以上に、様々優れた能力を持っている人が集まる環境で、やはり刺激的でした。そして、生物学の先生方との交流も。教養学部向けのゼミがありましてね、ここで聴講する話が面白かったから、仲間と一緒によく出ていたんです。なかでも農芸化学科の矢野圭司先生とは、講義終了後に質問を持ち込んではそのまま飲みに行くというのが〝お約束〞で、いろいろな話を聞かせていただいた。持ち続けてきた生物学への興味は一層色濃くなり、専門として選択するのに迷いはありませんでした。
※本文中敬称略
「生き物が動く仕組みを知りたい」。一心に研究に取り組む
進んだ理学部生物学科で「動物学」を学ぶ学生は、当時、1学年わずか9名だったという。大岩曰く「興味の赴くままというか、やんごとなき学問だから(笑)」。動物とはいっても扱うのは無脊椎動物が多く、「何をやるかは自由」。裏返せば、やれることは際限なくあるという環境で、大岩は観察力と「自分で課題を見つける」能力に磨きをかけていった。
最初に与えられたのがザリガニで、まずはスケッチです。続けているとトゲの本数や配置が正しくわかるし、解剖すれば神経系はどうなっているのかなど、観察ポイントはいくらでも出てくる。組織学でも、組織切片をつくっては顕微鏡でひたすら観察、スケッチでした。今思えば、発見のための視力や、自分で「何をすべきか」を考える力がすごく鍛えられた気がします。もう一つ私に響いたのは、「Study nature, not books」という教え。博物学者ルイ・アガシーの言葉で、動物学科で伝統的に大切にされてきた精神です。今でいうバイオミメティクスに通じるというか、生物学がいかに重要かを教えられたのも大きかった。
とにかく生き物が動くのを観るのが面白くて、その仕組みを知りたい、そして定量的な記述をしたいと思い、そのまま大学院に進学しました。入ったのは、当時、鞭毛運動研究で最先端の研究をしていた高橋景一先生のラボです。ちなみに、生き物を動かす〝本体〞であるタンパク質モータは基本3種類あって、筋収縮の原動力であるミオシン、細胞内の物質輸送にかかわるキネシン、そして鞭毛・繊毛の運動をつくり出すダイニン。ダイニンは大変複雑で、(すぐに失活する)脆弱なタンパク質モータなので、ほか(のモータ)に比べて、機能や構造の解析が難しかったのです。高橋先生は、そのダイニンと鞭毛を専門に先端的な研究をされていました。
先生の下で挙げた成果は、鞭毛のなかで生じている微小管の滑り運動の「負荷と速度の関係」を明らかにしたこと。モータですから、いわばエンジンのトルクと回転数の関係ですね。ウニの精子鞭毛を使って測ったもので、ダイニンにかかる力に対する運動速度の変化を示したのは、世界で初めて。論文発表したのは1988年でしたが、この研究成果、『生物と運動 バイオメカニックスの探究』という本に引用されたんですよ。友人から聞いてあとから知った話なんですけど、博士論文はなかなか広く知られることはないから、これはちょっと自慢(笑)。
博士課程修了後、大岩は帝京大学医学部の助手として職に就き、ここで5年間、学部学生の生理学実習にあたりながら自らの研究も続けてきた。通信総合研究所(現情報通信研究機構)に足場を変えたのは32歳の時。世の基礎研究シフトを受け、新しくバイオ分野を立ち上げた同研究所にポテンシャルを感じたからだ。
この頃は研究棟が2棟しかなくて、バイオとナノテク研究者が同じ屋根の下にいたんです。「新しいことをしたい」という皆の思いがあるから融合も生まれ、個人研究ばかりしてきた私には新鮮な環境でした。実際、タンパク質の動きの方向をそろえることに成功した実験などは、工学系の研究者たちと一緒にやったことで得られた進展で、後の研究にも大いに役立ったのです。
念願だった英国国立医学研究所への留学が叶ったのは、入所後間もなくのこと。目的は、生物共通のエネルギー源であるATP(アデノシン3リン酸)を〝観ること〞。単一のATP分子が加水分解される様子を光学顕微鏡で観察したい。その一心から、ミオシンの触媒反応を専門とするデイビッド・トレンタム先生に手紙を書き送り、実現した留学です。タンパク質一個を観るために、トレンタム先生がつくり出していたATPアナログ(疑似化合物)は魅力的で、私としてはその合成技術を修得したかった。先端技術のノウハウですからね、よそ者には公開しないのが常だと思うけれど、先生はオープンに教えてくださった。かけらも威を張ることなく、何より現場を重んじる研究者魂には大いに学ばされました。
そして、研究を進めるうえで大事な国際的なネットワークを得たこと、これも大きな財産です。海外からも著名な研究者が頻繁に訪れる研究室でしたから、直接会う機会を通じて自ずと知り合いが増えていきました。短期留学ではありましたが、これで間違いなく私の研究人生は変わったし、世界への門戸が開かれたと思っています。
※本文中敬称略
ダイニンへの執着。数々の成果を発表し、研究発展に寄与する
タンパク質モータの研究において、大岩が一貫してこだわってきたのは「試験管内再構成実験」である。生物試料から精製したタンパク質を、その機能を失うことなく基板や粒子に吸着させて、溶液中で機能するタンパク質を〝動画〞として観察・計測する実験だ。技術は日本の研究者によって開発されたそうだが、大岩はその進展に大きく貢献してきた一人である。
生き物をどんどん小さく分解していって「その要素は何?」と分析する還元論的な方法に対し、試験管内再構成実験は、既知の材料を最少数で組み上げて、試験管内で生体機能を再現するという構成論的なもの。生き物のなかで動いている現象って、何が影響しているのかわからないでしょう。この実験なら細胞や生命を物質として扱えるから、不確定要素を減らしたり、実験条件を自由に変えたりできる。80年代半ばから伸びてきた技術ですけど、私はとても重要だと思っていて、一貫してこだわってきました。
使っている材料は藻の一種であるクラミドモナスです。ゲノムプロジェクトが完了しており、大量培養もできるので、実験動物としてすごくいい材料なんですよ。このクラミドモナスの鞭毛からダイニンを精製して、力の発生や滑り運動を試験管内で再現したのが90年代後半。ダイニン単一分子の詳細な力学測定を行うための実験系を確立したわけですが、これによって、ダイニンが持つ特殊な性質を明らかにすることができた。簡単に言えば、ダイニンは微小管から離れることなく、何回もATP分解を繰り返して、運動をし続けることができるという性質です。ダイニンの歩幅は8nmであること、自分自身にかかる負荷が大きくなると後方へステップするようになることも発見しました。この成果は、私の初の『Nature』掲載論文となりました。99年のことです。
その4年後、大岩は英国リーズ大学との共同研究によって、今度はダイニンの分子形態の詳細を明らかにすることに成功した。前述のモータの〝動き〞に加えて、モータ自身の分子構造変化を示したのである。2003年、『Nature』の表紙を飾ったこの研究成果は、ダイニン研究の大きなブレイクスルーとなり、新たな研究段階へと導いた。
最も興味を持っていたのは、ATPの加水分解前後にダイニンがどのような構造変化を示すか、という点です。ATPが結合した状態と加水分解後にAT(D)Pを離した状態。つまりパワーストロークを行う前と後の状態を実験的につくり出して、それぞれの分子像を詳細に比較してみたところ……分子全体で約15nmにおよぶ大きな構造変化が、ダイニンの分子内で起きていることがわかったのです。
その後、ダイニン分子の3次元情報を得るために、試料を氷埋して観察するクライオ電子顕微鏡観察を行ってきました。リーズ大学の研究グループの力を再び借りながら。でも、これは本当に苦労の連続で、特にパワーストローク前の状態であるダイニン分子の構造解析は困難を極めました。その全体像が明らかになったのは5年以上経ってから。途中、競争していたほかの研究グループにダイニン分子の結晶構造を発表されてしまい、悔しい思いもしました。でも、パワーストローク前後の分子全体像を3次元的に捉えることができた成果は、ダイニンの運動機能の解明において、重要な位置を占めていると思っています。
ダイニン1分子の力は本当に微々たるものですが、もし500kg集めることができれば、最大パワーはだいたい400馬力になる。重量約3倍のランボルギーニの馬力が640くらいですから、けっこういい勝負をするじゃないかと(笑)。現実的ではないですが、こんな話も面白いでしょう。考えてみれば、我々は牛や馬を使い、つまりはタンパク質モータを動力として使ってきたわけですよ。昨今は「これこそが未来材料だ」と言ってくださる人もいます。カーボンナノチューブやシリコンの話はよく出ていますが、生き物だってカーボン。バイオミメティクスに近いというか、まさに先述した「Study nature, not books」の世界です。マイクロマシンやナノマシン構築への発展が期待されているように、タンパク質モータの工学的応用については、常に意識しているところです。
※本文中敬称略
なお高まる研究者魂。「鞭毛をつくり出す」という究極を求めて
大岩たちの研究チームは、その後も確実に、試験管内再構成実験の新たな研究成果を挙げてきた。最近のものとしては「微小管とタンパク質モータが、自己組織的に形成するネットワークの振る舞いを定量的に明らかにした」。わずか2種類のタンパク質、ダイニンと微小管を混合してATPを加えるだけで、自発的に様々な秩序構造をつくり出すことを示したのである。
生き物の特徴は、人為的に操作しなくても構造ができる自己組織化にあります。タンパク質モータと微小管が、衝突という相互作用によって、自己組織的に構造をつくり出すことを見いだしたのは大きな出来事でした。顕微鏡をのぞいていたら、ある時、観察視野に微小管の束が飛び込んできて、何事かと追いかけてみたら、なんと、この束は渦模様を描いて動いていたのです。日頃は微小管一本一本の動きにすごく注意を向けているから、見逃していた。例えるなら、道に転がっている石に集中しすぎて、石が集団となって描いている壮大なナスカの地上絵に気がついていなかった、という話です。
このように多数の個体がつくる集団の振る舞いは、身近なところで見られますよね。例えばイワシの群れ泳ぎやイナゴの群れ、鳥の集団運動とか。混雑した地下街で自然に生じる人の流れもそう。いわゆる群知能。それぞれの個体が衝突せずに、ちゃんと秩序だった動きをするメカニズムは何なのか。自ら動くことができる自走粒子による集団行動には原理があるはずです。
現在、応用につながることを視野に入れて研究を進めているのが、このアクティブマターの世界です。物理学で高まりを見せていますが、「タンパク質も使えるよ」と提案しているところ。こういった研究にはコンピュータシミュレーションが活用されていますが、実験系としては観察するしかありません。制御できないのですから。なので、アクティブマターの実験をするのにタンパク質モータが、試験管内再構成実験が有用なシステムになると考えているんですよ。昨今は人工知能が華々しいけれど、自然にも知能があるじゃないかと。自然が示す、あたかも高い知能があるような振る舞い、つまり自然知の背後にある仕組みを解明し、利用すること。私が追い続けている不変のテーマでもあります。
情報通信研究機構「未来ICT研究センター」のセンター長、所長職にあった時代は、全体を見る立場から研究の融合スタイルを推進し、若手研究者の育成にも尽力してきた。フェローとなり〝現場復帰〞したのは13年。生涯研究者でありたいという思いが強い大岩自身が望んだ環境である。「鞭毛をつくること」、それが30年以上続けてきた鞭毛研究の集大成だ。
やはり、究極はそこですね。鞭毛というのは約600種類の要素からできていて、当然、分解していかないと理解は進みません。でも、それは静止画の世界で、600種類がどうやって協働しているのか……それは組み立てないとわからない。ボトムアップとしてつくり上げ、「わずかな局所ルールの変化がシステム全体の機能を変えるんだ」ということを示すことができれば、そこが一つのゴールかなと。そろそろUターンして、つくって理解するという動きを本格化させたいと考えています。そして最終的に鞭毛を構築できれば、初めて「わかった」と言えるのだと思う。
生き物が〝動く〞ってすごく不思議で、振り返れば子供の頃から興味が変わっていない(笑)。なぜだろう?知りたいという欲望がエネルギーになっているのでしょう。私にとっては、面白いことがすべてなんです。何でも長く研究すればいいという話ではないですが、面白いと思うことだったら、徹底して続けられるものです。
姿勢として重要なのは、常にアンテナを張っておくこと。私は技術にはこだわらないタイプで、知りたい事柄に対して有効だと思う技術は何でも使ってきました。そして人と会い、話し、手を携える。するとインスピレーションを受けたり、最短の研究ルートを見つけられたりするものです。私がこれまで積極的に、ダイニンに関する国際学会を日本で開いてきたのは、そういったチャンスを若手研究者たちに少しでも提供できればと考えているから。かつての留学で、私のポテンシャルを引き出してくれたトレンタム先生の影響でもあります。彼を見習って、いつまでも現役として研究を続けながら、若手の背中を押してあげられるような存在でありたいと思うこの頃です。
※本文中敬称略
Profile
国立研究開発法人情報通信研究機構 未来ICT研究所 主管研究員・フェロー 博士(理学)
大岩 和弘
1960年6月1日 | 埼玉県蕨市生まれ |
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1983年3月 | 東京大学理学部 生物学科卒業 |
1988年3月 | 東京大学大学院 理学系研究科動物学専攻 博士課程修了 |
4月 | 帝京大学医学部 第二生理学教室助手(後に講師) |
1993年4月 | 通信総合研究所(現情報通信研究機構)入所 |
1994年9月 | 英国国立医学研究所(NIMR)へ短期留学(翌95年も) |
1997年7月 | 通信総合研究所 生体物性研究室長 |
2006年4月 | 情報通信研究機構 未来ICT研究センター バイオICTグループ グループリーダー |
2008年7月 | 同機構 未来ICT研究センター センター長 |
2011年4月 | 同機構 未来ICT研究所所長 |
2013年1月 | 同機構 未来ICT研究所 主管研究員・フェロー |
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