新技術と共にゲノム理解も深化
東京大学先端科学技術研究センターの油谷浩幸教授は、日本におけるヒトゲノム研究の第一人者だ。1980年代、当該分野の誕生初期から携わってきた。
「医学部卒業後は内科医としてしばらく臨床に立ちました。しかし組換えDNA技術が登場、急速に進んだことでゲノムサイエンスに興味が向かいました」
88年にはマサチューセッツ工科大学がん研究センターに留学。その後、遺伝的にがんになりやすい人や家系を研究した。折しもヒトゲノムの全塩基配列を解析するヒトゲノム計画が進められていた時代、ゲノムプロジェクト自体は大規模センターが主導しており「あまり魅力を感じなかった」。だが90年代後半になると「ゲノムの機能とは何か」という新たな問いが生じた。単にゲノムや塩基配列を見るだけでは、生命現象を理解することはできないのだ。
以降、油谷教授は遺伝子の発現全体の研究に注力。新技術「マイクロアレイ」が登場し、細胞内の遺伝子の発現状況が、より包括的に測れるようになったことも、研究の進捗を支えた。「従来の科学は、まず仮説を立て、その仮説を証明するデータを集めるという流れでした。しかしマイクロアレイによって、まず質のよいデータをとり、それを基に仮説を立てる、データドリブンの研究が始まった。科学と技術は依存し合っています。科学が進歩するためには新技術が必要なのです」
油谷教授の発見に「コピー数多型マップ」がある。通常、ヒトの細胞には遺伝子が2個(2コピー)あるとされていたが、1個(1コピー)しかなかったり、3個(3コピー)以上あるといったゲノムの個人差が、かなりの頻度で起きていることを2006年に突き止めた。
「エピゲノム」研究も大きな柱だ。エピゲノムとはDNAの配列を変えることなく、皮膚の細胞や腸の細胞など数百種類の細胞を生み出す情報の集まりのこと。この研究も新技術が後押しした。遺伝子の塩基配列を超高速に読み出す「次世代シーケンサー」である。かつてのゲノムプロジェクトが要した時間は13年、それが今では数日で解析が終わるという。
08年には次世代シーケンサーの有用性を示すべく、米国で「アポロ計画に匹敵するようなプロジェクト」が始まった。それは50種のがんについて500症例を解析し、がん細胞に生じたゲノム変異を同定するもの。今年で合計2万5000症例の解析を終えた。日本からも1000症例以上貢献したという。
「今はがんゲノム研究とエピゲノム研究を同時に進めている状態。いずれは患者さんそれぞれのがんについて、『あなたのがんには、こんな薬が効く』と言えるようにしたい。現在、およそ3割の方には有用な情報をお出しできるようになりました」
ゲノム検査によってがん治療に貢献
3年前からは国立がん研究センター研究所の間野博行所長らと共に、過去の研究成果を臨床に生かす「ゲノム医療」の仕組みづくりに着手した。がん専門医をはじめ、ゲノム研究者、病理医、情報解析の専門家などを集めたゲノム医療カンファレンスも開催。その成果もあり、18年にはがん組織のDNAとRNAを解析し、効果的な薬を選ぶ「ゲノム検査」が先進医療として実施されるように。19年内には保険適用される見込みだ。
ゲノム医療が、ゲノム研究を進める側面もある。
「実際に治療をすることでがん細胞が予想外の振る舞いをすることがあります。例えば最初は効いていた薬が効かなくなったり。それは研究室のシャーレの上ではわからないことです。ゲノム研究とゲノム医療がカップリングし、患者さんや製薬会社にも参加してもらいながら、より深く病気を理解することにつながればと思っています」
ゲノム医療を軌道に乗せた後は、あらためてゲノム研究に注力したいと油谷教授は語る。自身最大の興味は、ゲノム研究により生命現象と病気のメカニズムを解明し、「ヒト」そのものを理解することにある。
「自分の身体のことがわかるって面白くないですか(笑)。今、一細胞ごとにゲノム解析、エピゲノム解析ができるようになっています。するとがん細胞の増殖過程でDNAのコピーミスが生じ、腫瘍組織の端と端でゲノムが異なる、ということまでわかる。私たちは、まだまだ研究を続けていく必要があります」
油谷 浩幸
教授 博士(医学)
あぶらたに・ひろゆき/1980年、東京大学医学部医学科卒業。同大学医学部付属病院第三内科助手などを経て、88年、マサチューセッツ工科大学がん研究センター研究員。99年、東京大学大学院工学系研究科助教授。2001年、東京大学先端科学技術研究センター教授。
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