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【研究者の肖像Vol2】ノーベル化学賞2016 受賞候補者 :「研究者ほど素晴らしい職業はない」光触媒の発見者、藤嶋昭氏が語る研究者哲学

研究者ほど素晴らしい職業はない。
インパクトのあるいい研究成果や論文を発表すれば、世界中に”生きた証”を残せるのだから
東京理科大学 学長 博士(工学) 藤嶋 昭

水中に置いた酸化チタンに光を当てると、水が分解され、酸素と水素が発生する――「これは、とんでもないことが起きている」。「光触媒」を発見したのは1967年。この時、藤嶋昭は東京大学大学院生だった。目を疑うような現象を前にし、感動に打ち震えたという。以来50年近く、光触媒は藤嶋の人生に深くかかわり続けている。抗菌、防臭・防カビなどの効果があることで知られる光触媒は、多岐にわたる産業分野で応用されており、今や人々の暮らしに欠かせない存在となった。その背景には、「人類の役に立つことが科学者の使命」だとする藤嶋の変節なき思いがある。東京理科大学学長職にある多忙な現在も、その研究者魂は一向に衰えていない。

読書と実験に傾倒し、好奇心の赴くままに定めた理系への道

生まれは東京だが、2歳の時、空襲から逃れるために愛知県盛岡村(現豊田市)に疎開。藤嶋曰く「驚くような田舎」だったが、夜空に輝く満天の星、伸びやかな竹林、清冽な水……文字どおり豊かな自然を湛えた同地は、今も藤嶋が足を運ぶ”故郷”である。

盛岡村は父方の祖父の故郷で、集落には十数軒しかないという田舎です。遊び道具も何もなかったけれど、自然に囲まれ、子供たちは皆、元気いっぱい伸び伸びと過ごしたものです。私が暮らしたのは12歳までですけど、今でも親交が深くて、帰郷すれば、小学校の先生や同級生たちが総出で集まってくれるんですよ。
そのお一人、担任だった神谷勘一先生の授業のユニークさは、今でも記憶に残っています。例えば「新聞とラジオ、どちらが優れているか」というテーマで生徒たちに討論をさせたり、また理科の時間には、1ℓのビーカーに水を入れて「これが重さ1㎏」だと教えてくれたり。尺貫法の生活のなかで出合ったメートル法は、私にはとても新鮮に映った。疑問を持ち考えること、理科への興味は、案外こんなところから始まったのかもしれません。
東京に戻ってからは、それまでほとんど身近になかった本に触れるようになり、あっという間に夢中になった。読書という生涯の趣味に巡り合ったのはこの時期で、さらに高校生になってからは、理科への興味も加速していきました。化学部に入り、部室に詰めては実験を繰り返したものです。花火のもとになる炎色反応とか、いろんな化学実験が面白くてね。実のところ、私の親類縁者には理科系がいないんですけど、大学進学の際には、理系に進むと決めていました。ほかの職業を考えたこともないし、「気がつけばこの道に立っていた」という感じでしょうか。

進学したのは横浜国立大学工学部。当時としては、電気化学科を置く希少な大学で、その特徴ある学科に惹かれた。日本が高度経済成長の途に立ったこの時代、理工系に進路を取る者が急増したそうで、藤嶋もその一人となった。特筆すべきは、藤嶋は大学生時代から、その”アイデアマン”ぶりを発揮していたこと。その最たるものが、現在も続けている「出前授業」だ。

夏休みに、ふと「何か変わったことをやろう」と思い立ちましてね、考えたのが旅行を兼ねた出前授業です。地方に出かけて、自前で中学生に講義をするという企画。お目当ての地方にある教育委員会宛に往復はがきを出し、出前授業をする代わりに、宿泊場所を提供してくださいと。叶えば、タダ同然で旅行ができるわけ(笑)。
初年度に受け入れてくれたのは福井と島根にある中学校で、翌年は青森・津軽半島の最北端まで出向きました。おかげで在学中は、仲間たちと旅を満喫することができたし、何より、理科を教える楽しさを知ったのはこの時です。実験を交えたわかりやすい授業はなかなか好評で、今も私が力を注いでいる出前授業の元になっています。
あと、理系にとって最も基本的かつ重要な学術書の一つ、『量子力学』を読破するために、友人らと伊豆で合宿したのも忘れられない思い出です。この手の書は高額でしょう、参加者全員がアルバイトで稼いだお金で本を購入し、民宿で自炊しながら読み上げたんですよ。出前授業もそうですが、この手の言い出しっぺは、たいてい私(笑)。興味やアイデアが尽きないというか、やりたいことがどんどん出てくるのは、この頃から変わっていませんねぇ。

光触媒との出合い。年月を経て、一躍脚光を浴びる

「試しに受けてみた」公務員上級試験に合格した藤嶋には、官僚への道もあったが、気持ちとしては「やはり研究をやりたかった」。結果、藤嶋は東大工学系大学院に進み、写真化学を中心に応用化学、光工学などの領域で幅広く活躍していた菊池真一教授の研究室に席を置く。ここで藤嶋は酸化チタンと出合い、光触媒を発見したのである。

当時、菊池研の助教授だった本多健一先生のもとで、私は、光電気化学という世界的にも注目されていた新しい分野に取り組みました。与えられた研究テーマは、簡単にいえば、水の中に光を感じる物質を入れて光を当て、その応答を得るというもの。本多先生はすでに、白金を電極にしても光ベクレル効果が得られることを突き止めていたので、私には「ハロゲン化銀を電極に使うように」と。ところが研究を重ねても、どうにもうまくいかない。
突破口になる新材料がないかと文献を漁ったり、ほかの研究室の人に話を聞いたりするなか、大きな可能性を感じたのが酸化チタンだったのです。思い立ったら、即行動。私は、酸化チタン単結晶の製造元であるベンチャー企業に直談判し、手に入れて、何とか実験にこぎつけました。
酸化チタンの電極をつくり、水の中に入れて光を当ててみたところ……なんとガスが出てきた。調べると、この気体は酸素であることがわかり、そしてもう一方の白金の電極からは、水素が発生していました。水中の電極間に電圧を加えると、水が分解されて酸素と水素が発生する――いわゆる「水の電気分解」は、電圧をかけないと起こらないはずなのに、光を当てただけで水から酸素が出たのです。これは、植物が行っている光合成とよく似た反応で、つまり、酸化チタンが葉緑素の代わりになったということ。「光合成の複雑な反応を人工的に再現できた」と確信した時の感動は、そりゃもうすごかった。興奮のあまり、夜も眠れなかったくらいでしたから。

のちに「本多・藤嶋効果」と命名されたこの発見は、世界の耳目を集めることになるが、発表当初は光をエネルギーとして捉える見方が定着しておらず、「あり得ない。何かの間違いだろう」と学会からの反応は厳しかった。日の目を見たのは72年。論文が『Nature』に掲載されたことが契機となった。藤嶋が脚光を浴びるようになるまで、5年の歳月を要したのである。

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本取材は、東京理科大学神楽坂キャンパスと、
野田キャンパスの光触媒国際研究センターで
行われた。 同大の准教授、スタッフ、学生たち
と光触媒国際研究センターの玄関前で

まだ太陽電池もなかった時代です。光がエキルギーになるという感覚がないから、「電気化学を勉強し直せ」と、学会からは徹底的に批判されました。通常の水の電気分解には、1・23ボルトの電圧が必要であるという理論値があって、研究者たちは皆、この理論値にいかに近づけるかという努力をしていたんですね。私は、それを飛び越して「いらない」ことを証明したわけですが、こと理論に固まった先生方を覆すのは……非常に難しかった。
でも事実、目の前で酸素は出ている(笑)。この頃、私は神奈川大学で講師をしていましたが、幸いだったのは、東大大学院時代の研究室の先輩方が「お前は正しい」と評価してくれたこと。時にやり場のない気持ちに襲われても、そんな環境にあったから、存分に研究を続けることができたのです。
本多先生と共著で『Nature』に論文を投稿した際、一発で掲載が決まったんですよ。掲載審査には覆面のレフリーがついていて、論文の多くに修正指示やコメントがバンバン入るのが常ですから、“即決”.はうれしかった。これでようやく、日本でも理解が進み、さらに事態を後押ししたのが、翌73年に起きた第一次オイルショックでした。原油価格の高騰を背景に、石油の代替エネルギーとして太陽光や熱エネルギーに世界中が注目するようになり、一躍表舞台に立ったのが、水の光分解反応。光を使って、水からクリーンエネルギーである水素を取り出せることに、注目が集まったのです。
朝日新聞の一面トップに「太陽で“夢の燃料”」と大々的に取り上げられたこともあり、環境は劇的に変わりました。学会発表をすれば聴衆があふれ、あれほど批判されてきたことがウソのようでした。まさに「神風が吹いた」と感じたものです。

“発想の転換”で、光触媒技術の可能性を大きく切り開く

75年、藤嶋は本多氏からの声がかりで東大工学部の講師に就任した。2度にわたるアメリカでの研究生活を経て助教授(当時)となり、83年には本多氏と共に朝日賞を受賞。再三マスコミにも取り上げられ、”水素博士”として注目されるようになったが、当時の藤嶋には、「エネルギー問題と直接結び付ける考えはなかった」という。

私にとっては「光を当てると酸素が出る」ことが、感動的かつ重要でしたから。でも、世間が注目しているのは水素で、「どれくらい採れるようになりましたか」とばかり聞かれる。それで、効率よく水素を捕集するための実験に邁進せざるを得なくなったのです。
大量の水素を取り出すのはかなり難しい問題です。よく晴れた日に12時間費やしても、採れる水素量は1㎡当たり7ℓ。燃やせば一瞬だし、エネルギー変換効率が非常に悪い。酸化チタンは太陽光の3%しか吸収できませんから。現在も世界中で研究が続けられていますが、我々が40年前に発表したこの量以上のものは、いまだに採れていません。
しばらくして、私は発想を転換し、応用・実用化に向けた研究に臨むようになるんですけど、やはりエネルギー問題は重要なテーマなので、ずっと取り組み続けています。今は、光触媒国際研究センターにおいて、紫外線だけではなく可視光も吸収する光触媒による水の分解など、太陽光エネルギーを効率的に水素に変える実証実験を重ねているところです。

話は変わりますが、この頃の記憶に強いのは『電気化学測定法』という本を上巻、下巻として2冊出版したこと。私の一番の友人である相沢益男君と、後輩の井上徹君で共同執筆したものです。これ、30年以上経った今も読み続けられているんですよ。専門書なので1冊3900円と当時としては価格は高めだし、「そう簡単には売れない」と思っていたのに、出版前から予約が殺到して初版完売。類書が日本になかったから、皆求めていたんでしょうね。増刷を重ね、中国語版も出版されたんですけど、あちこちから「ボロボロになるまで読まれている」と聞くと、本当にうれしいものです。ちなみに印税は、3人で相談して「理科離れ対策」に使おうと決め、良書を選んで配付する啓発活動などに充てています。

1984年に出版された藤嶋氏の共著『電気化学測定法』(技報堂出版)は、30年以上経った今でも電気化学測定のバイブル的教科書として読まれている。左端は中国語訳版

藤嶋が前述した「発想の転換」、それは光触媒の産業応用である。90年頃から企業と共同研究を始め、以降、光触媒技術の可能性を自ら切り開いてきた。身近なところだけでも住宅の外装材、トイレやキッチンのタイル、空気清浄機の中、曇らない自動車のサイドミラーなど、光触媒は多岐にわたる産業分野で応用され、今やその市場は、国内だけでも1000億円規模とされている。

藤嶋研究室がスタートして研究が進むにつれ、光触媒には水の分解に加えて、ほかに2つの大きな機能があるこ とがわかってきました。強い酸化力による有機物の分解作用と、表面に付いた水が均一に広がって曇らなくなるという超親水性です。実用化に向けて、最初に取り組んだテーマが「トイレの常に幅広い知識を持ち、センスを磨いていないと、アイデアや発想の転換は出てこないもの脱臭」。当時助教授だった橋本和仁君と、TOTOの研究所と実験を重ねたところ、蛍光灯に含まれる微弱な紫外線でも強い酸化反応が起き、効果を得られることが確認できた。これもまた、大きな発見でした。

常に幅広い知識を持ち、
センスを磨いていないと、
アイデアや発想の転換は出てこないもの

ここから光触媒タイルが製品化されたんですけど、このタイルを病院の手術室の床や壁に使ってみると、大腸菌などの有害菌がほぼ死滅し、酸化チタンがわずかな光で劇的な殺菌作用をもたらすことも実証されたのです。そして、この酸化分解力と超親水性を合わせることで、セルフクリーニング効果のある住宅用建材を開発し……と、次々と応用が広がっていった。思えばこれらは、当初期待されたエキルギー用途ではなく、微量でも人々を困らせる、身近な環境問題に応用しようという発想の転換から生まれたんですよ。「超親水性効果」の現象を見つけたのは、藤嶋研に留学していた王融さんという中国人の女性研究者です。彼女が『Nature』に発表した論文もまた有名ですし、光触媒の実用化に大きく貢献した一人です。私が東大を退官するまでには、世界16カ国から留学生を受け入れましたが、多くの留学生たちは自国に戻って要職に就き、学んだ光触媒技術でもって製品開発に臨むなど、活躍してくれている。広く留学生を受け入れ育てることは、日本の科学技術の大切な役割ですし、何より、藤嶋研出身の人脈が世界でつながっているのはうれしいものです。

「人類の役に立つ」を使命に、様々な領域で奔走し続ける日々

東大退官後も、藤嶋は多くの要職を兼務し、精力的に活動してきた。神奈川科学技術アカデミーの理事長時代には、光触媒ミュージアムを開設し、科学技術を通じた人材育成に注力。また、JR東海機能材料研究所の所長も務め、新幹線の禁煙車に設置された空気清浄機や、オゾン水生成装置などを開発している。そして、現職の東京理科大学学長に就任したのが2010年。「学生がもっと生き生きと勉強できる環境づくり」が、目下の大テーマである。

毎年、約4000名という日本で最多の理工系卒業生を送り出している大学です。少ない資源しか持たない日本は、科学技術立国を目指すほかないのだから、その観点からも、現職の責任は非常に重いと感じています。

大学全般を見ていて課題に思うのは、学生にもっと勉強させないといけないということ。理科大は伝統的に厳しい大学ではありますが、よりよい環境を整えたくて様々なことに取り組んでいます。その一つが、新しい教科書づくり。学部での基礎習得に重きを置き、共通に学ぶべき基準となる内容を盛り込んだ教科書で、すでに機械や化学などができています。これらを1、2年生の時に必ず使うわけですが、できれば「墓場まで持っていけ」と言えるくらいのものにしたいんですよ(笑)。

そして教養も新しくしようと、昨春から向井千秋さんを、また今春から姜尚中さんを招聘したところです。研究は特定の分野を深く追究することも重要ですが、それだけでは広がりを持てない。あらゆることに関心を持ち、幅広い知識を持ち、常にセンスを磨いていないと、アイデアや発想の転換は出てこないものです。センスを磨くには本を読むことが有効で、私自身も数多の書物を通じて、科学の面白さ、感動を追体験してきました。昨今の若者は本を読まないといわれて久しいでしょ。小中学生の理科離れも進んでいる。私費で新書文庫や童話図書館を設置したり、今も時間をつくっては出前授業に出向いているのは、そういう事態を憂えているから。青少年の理科教育に資するための活動は、今後も全力を尽くしたいところです。

他方、光触媒の応用についても、藤嶋は変わらず意欲的に研究に取り組んでいる。昨今のものとしては、太陽光をどこへでも自在に届ける「光道管」や、水耕栽培野菜の養液を浄化してリサイクルする「植物工場」の研究、あるいはがん治療など、医療分野への応用の可能性も模索中だ。常に携帯しているというノートには、アイデアがびっしり書き込まれており、そういう話をする時、藤嶋は格別の笑顔を見せる。

私の座右の銘は、中国で正月を祝う「物華天宝」という言葉。「産物は天の恵み」というのがもとの意味ですが、私の解釈は少し違います。「物」とは科学技術のことで、天にある宝を探し出して人類の役に立つことが、科学者の使命だと考えているのです。
東大の先端科学技術研究センターの馬場靖憲先生が書いた解説記事に、研究者を3つに分類したものがあるんですよ。基礎だけを重んじる原子モデルを提案したボーアのような研究者、エジソンに代表されるような応用こそが重要だとする研究者、そして基礎から応用までを見通す研究者。この基礎から応用まで幅広い業績を残したのが免疫学の生化学者ルイ・パスツールです。馬場先生は、光触媒も一つの「パスツール型」だとおっしゃってくれたんですけど、これは本当に光栄なこと。
もちろん、基礎も応用もそれぞれ大事で、例えばアインシュタインの話をすれば、彼は110年以上前に基礎の相対性理論を見つけたわけでしょ。今、私たちがナビゲーションで使っているGPSの精度の高さは、この理論のおかげです。
基本的な理論が100年後の人類の役に立っているわけで、そう考えると、研究者ほど素晴らしい職業はないと思う。新しくてインパクトのあるいい研究成果や論文を発表すれば、人類が存在する限り、未来永劫残すことができるんですから。つまりは研究者の履歴書というか、生きたという証をね。それを世界中に残せる職業なんて、ほかにないですよ。だから、私はいつも「いい研究をしよう、いい論文を書こう」と周囲を叱咤激励しているんです。もちろん私自身にも。何より、研究を面白がり、楽しむこと。そして、人々や社会の役に立ちたいという心持ち。本当のエネルギーは、そこから出てくるんですよ。

※本文中敬称略

今も研究の第一線で活躍する。屋根やベランダに太陽光を集めて部屋に送る「光道管(こうどうかん)」の開発プロジェクトも東京理科大学の卒業生でユーヴィックス株式会社社長の森戸祐幸氏と行っている

Profile

biographies01_3東京理科大学 学長博(工学)
藤嶋昭

1942年3月10日 東京都世田谷区生まれ
1966年3月 横浜国立大学工学部
電気化学科卒業
1971年3月 東京大学大学院
工学系研究科博士課程修了
1971年4月 神奈川大学工学部講師
1975年11月 東京大学工学部講師
1986年7月 東京大学工学部教授
2003年4月 (財)神奈川科学技術アカデミー理事長
JR東海機能材料研究所所長
2005年1月 東京大学特別栄誉教授
2008年1月 科学技術振興機構
中国総合研究センター長
2010年1月 東京理科大学第9代学長

主な受賞・受章

1983年 朝日賞
2000年 日本化学会賞
2003年 紫綬褒章
2004年 日本国際賞、日本学士院賞
2006年 恩賜発明賞
2010年 文化功労者
2012年 トムソン・ロイター引用栄誉賞

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子供たちの理科離れを食い止めるため、出前授業、 講演、様々な出版物の発行にも尽力している

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