皮膚から出るガスを疾病予防に役立てる
人間の身体からは、様々なガス(生体ガス)が放散されている。生体ガスの代表格は「呼気」だが、「皮膚」からもガスが放散されていることはあまり知られていない。その「皮膚ガス」の研究でトップを走っているのが、東海大学の関根嘉香教授だ。
「皮膚ガスには、100種類以上の物質が含まれています。どれも生体の代謝産物で、すべて意味のある生体情報を持ちます」
皮膚ガスの放散経路は、「血液中の化学物質が揮発して直接放散」「血液から汗腺を経由して放散」「皮膚表面で生成して放散」の3つ。皮膚ガスに含まれる化学物質の種類や量の分析により、健康状態の診断に利用できる可能性があるという。
「アルコールが代謝されると、血液中のアセトアルデヒドが揮発して皮膚から放散されます。筋肉が疲労すると乳酸やアンモニアがつくられ、乳酸は体内に溜まりますが、アンモニアは皮膚から揮発します」
皮膚から放散されるアンモニアに着目した関根教授は2015年、ガス検知器メーカーと共同で、身体の一部に貼るだけで疲労度がわかる手の平サイズのデバイスを開発。皮膚から放散されるアンモニアを吸着材に集めて色の変化を見る仕組みで、このデバイスを使えば、様々な仕事の現場で人材の健康管理に活用することができるという。
「アンモニア以外の物質を調べれば、例えば、糖尿病などの生活習慣病対策のほか、もしかすると、がんの早期発見に貢献できるかもしれません。用途はほかにも想定され、アセトアルデヒドで飲酒履歴を突き止めたり、食事制限時に出るアセトンで、脂肪の燃焼程度を判定し、過剰なダイエットによる健康被害を予防できる可能性もあります」
皮膚ガス分析による健康診断は、呼気分析のように、呼気量の多寡でガスの濃度が変化する心配がない。デバイスは小型で軽量、かつ電力を必要としないため、いつでもどこでも、そして誰でも簡便に使用できるというメリットがある。
「呼気を一日に何回も調べるのは面倒ですし、採血による健康診断は精神的、肉体的な負担を伴います。一方、皮膚ガスの検出は特別な動作が必要なく、負担が少ないことが特徴。また、網膜のように、個人が特有の皮膚ガスパターンを持つ可能性もあり、それを分析すれば、個人認証に利用できるかもしれません。皮膚ガス測定の実用化は、健康管理だけでなく、防犯対策にも役立つなど、社会的な意義は大きいと自負しています」
ニーズを重視した統合的な研究を推進
関根教授はもともと、東アジアの大気環境や室内環境汚染を研究していた環境化学の専門家である。慶應義塾大学大学院理工学研究科時代は微小粒子物質(PM2・5)の越境汚染の実態解明に取り組み、修了後に入社した日立化成工業では、シックハウス症候群の原因物質の一つであるホルムアルデヒドの常温分解触媒を世界で初めて開発し、シックハウス対策用の空気清浄機の開発を手がけた。その関根教授が皮膚ガスに興味を持ったきっかけは、「ほんの偶然からだった」という。
「研究室の開設後、室内の空気を捕集して含有物質を分析したところ、食後に物質の濃度が上昇することに気づきました。原因を考えた結果、〝食後の代謝物質が皮膚から出ているに違いない〞との結論に至り、皮膚ガスの研究に取り組み始めたのです」
皮膚ガスは研究例が少ない分野で苦労が絶えなかったが、持ち前の好奇心と探求心、そして微量分析などの技術を駆使して前述の皮膚ガス検出デバイスの開発にこぎ着けた。今では、その将来性に着目した国内外の多くの企業などから、共同開発の依頼が殺到しているという。
「当研究室のモットーは、〝人と社会の役に立つ環境化学の実践〞。〝環境〞と〝健康〞という社会的ニーズが高い分野を扱っているだけに、基礎研究に留まらず、その応用と実用化までを念頭に置いた統合的な研究を重視しています。一般的な理学系研究室は実用化にタッチしないものですが、私たちは製品化による社会貢献も重要な役割の一つと捉えて研究を推進しています。その意味では、個性的な研究室といえるかもしれませんね」
関根嘉香
教授 博士(理学)
せきね・よしか/1966年、東京都生まれ。91年、慶應義塾大学大学院理工学研究科修了後、日立化成工業株式会社に入社。93年、東海大学理学研究科にて博士(理学)取得。2000年、東海大学講師。04年、英国OxfordBrookesUniver-sity訪問研究員。11年、東海大学教授。環境化学技術賞、室内環境学会賞・論文賞など受賞多数。
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