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【オピニオン】学術発展のためには縦横無尽の交流、横展開が不可欠である  政策研究大学院大学 名誉教授 黒川 清 第10回

【オピニオン】学術発展のためには縦横無尽の交流、横展開が不可欠である  政策研究大学院大学 名誉教授 黒川 清 第10回

テクノロジストオピニオン第10回
政策研究大学院大学 名誉教授 黒川 清

構成/南山武志 撮影/内海明啓

学術発展のためには縦横無尽の交流、横展開が不可欠である

国際的に見た日本の科学技術研究の減退傾向が止まらない。例えば今年8月半ばに公表された科学技術・学術政策研究所の分析「科学研究のベンチマーキング2017」によれば、2013~15年の3年間に日本が出した論文数は、約6万4000件と、10年前(03~05年)から4000件近く減少した。その結果、10年前は米国に次ぐ第2位だった順位は、この間およそ4倍増の中国及びドイツに抜かれ、4位に下がっている。

凋落は“数”にとどまらないところが深刻だ。引用回数が上位10%に入る「Top10%補正論文数」、同じく「Top1%補正論文数」では、順位は10年前の4位から9位へと、大きく後退を余儀なくされたのである。「全論文数より、引用回数が多い論文数で大きく順位を落とした結果は、注目度の高い論文で中国などに大きく差を付けられた実態を示している」と同分析はいう。同様の状況は、最近の『Nature』などでも“警告”されている。

こうした事態の原因を「最近の科学技術研究費の減少」に求める人もいる。確かに、研究のためのお金をどこからどのようにして“引っ張って”くるのかは、とても重要な課題である。ただ、少なくとも1人当たりの研究費を比べた場合、ドイツなどと遜色はない。なのに、はるかに人口の少ない国に論文数で負けるのは、なぜなのか?

日本の“凋落”は、裏を返せば中国や欧米諸国の“躍進”“前進”である。そのコントラストがどこからくるのかを考えれば、この問題は理解しやすいだろう。この間、ITの飛躍的な進歩、グローバル化の進展と、時代は急速に変貌を遂げつつある。例えば欧米系の大学は、そうした変化に対応して魅力ある研究の場を整え、世界中から学ぶ意欲のある若者を引き付けている。他方、我が国の大学はといえば、旧態依然、かつての“成功モデル”を維持することに汲々とするのみだ。凋落には、構造的、歴史的な要因が存在するといわざるをえない。

明治政府は、大学に関してはドイツの“講座制”を採用して、高等教育の構築を図った。教育と研究が一体となって進められるその仕組みの下、新国家の学術レベルは飛躍的に向上していく。しかし、その仕組みは、同時に講座の“主”=教授を頂点とする権威主義的なヒエラルキーを形成しやすい。そうなれば、自由闊達な研究にとっての足かせだ。だから制度の母国ドイツには、それを排除する“運営の知恵”があった。同じ大学・講座の助教授は、そこの教授にはなれない。なりたければ、新天地にその場を求めなければならないのだ。

ところが、日本はその“形”を取り入れたものの、学術の発展のためには縦横無尽の交流、横展開が不可欠だという“精神”は置き去りにした。何のことはない、マインドは主君への忠誠を第一義とする江戸のまま、そこに見事な“タテ”割り組織をつくり上げたのである。

“タテ割り社会”においては、組織を飛び出し、他所に移って活躍する人材があまり出てこない。例えば「三菱銀行」の人間が「住友銀行」に転職したら、“裏切り者”のレッテルを張られるのが関の山であろう。だが、そんな国は日本以外にはない。そうした世界では“考えにくい”常識が、日本では高等教育の現場でも、大手を振ってまかり通っている。

明治時代から連綿と130年あまり続くその日本の大学の状況は、“家元制度”と呼ぶのがふさわしい。それについては、次回さらに述べてみたい。

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Kiyoshi Kurokawa
1962年、東京大学医学部卒業。医学博士。
69~84年在米。UCLA医学部内科教授、東大医学部教授、東海大医学部長ほかを経て現職。
国際科学者連合体の役員などを務め、日本学術会議会長、内閣府総合科学技術会議議員、内閣特別顧問、国会の福島原発事故調査委員会委員長(2011年12月~12年7月)などを歴任。
日本医療政策機構代表理事、グローバルヘルス技術振興基金(GHIT)の代表理事・会長。
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