量子コンピュータの基礎理論を提唱
スーパーコンピュータをはるかに凌駕する計算能力を発揮するとされる「量子コンピュータ」。その開発と活用をめぐり、世界中の名だたる企業や研究機関が熾烈な競争を展開している。
2011年、ディー・ウェーブ・システムズ社が、伝統的な「量子ゲート方式」ではなく「量子アニーリング」による量子コンピュータを商用化し、話題をさらった。実は、その量子アニーリングの基礎理論を世界で初めて提唱したのが、東京工業大学の西森秀稔教授の研究室である。
「もともと『スピングラス』という物質に関する理論を研究していました。後に、脳の神経回路が働く仕組みを数式で表現する理論とスピングラスの理論に共通点があることが明らかに。その神経回路の数式から、量子の特異な現象である『量子トンネル効果』を用い最適解を求める量子アニーリング理論を、当時は学生だった門脇正史氏と共同で発表したのが1998年。
時を経て、その理論を使って実際に製品化する人が現れるとは想像もしていませんでした」
量子コンピュータは、「どんなに大規模かつ複雑な計算でも一瞬で処理する万能コンピュータ」というイメージで語られることが多いが、西森教授は「それは誤解です」と否定する。
「現在の量子コンピュータの用途は限定的で、すべての計算が劇的に速くなるわけではありません。量子アニーリングマシンの場合、主に『最適化問題』と呼ばれる領域の計算に長けているといえるでしょう」
最適化問題とは、与えられた問題の数学的な解を様々な制約のもとで見つける分野だ。例えば、ある目的地へ行くにはどのルートを辿るのが最適か、産業用ロボットをどう動かすのが最も効率的か、といった問題を解くことに用いられる。
「量子コンピュータの性能が向上して実用化が進めば、都市部の交通渋滞の解消、創薬開発の時間短縮、AIの機械学習への応用など、様々な分野で役立てられることが期待されます」
ブレイクスルーは〝無駄〞から生まれる
量子コンピュータの研究と開発は急速に進んでいるものの、社会に広く浸透するのは、もう少し先になりそうだ。
「実は、想定される最適化問題の中でも、どの種の問題が速く解けるのか理論的な証明は今のところなされていません。それが実用化を推し進める際の一つの障壁になっています。私たちの研究室では、まさにその部分の理論研究に取り組んでいます。理論的な枠組みを構築して用途を明確化することにより、実用的な部分でのターゲットがはっきりしてスマートな使い方が可能になるでしょうし、より優れた量子チップの設計にも反映されるはずです」
「超電導回路」で作動する量子アニーリングマシンは、電力をほとんど消費しない。西森教授の研究が実用化を牽引し、企業のデータセンターなどに設置されている膨大な数のサーバをはじめ、既存の大型コンピュータの一部でも量子コンピュータに置き換えることができれば、エネルギー問題に対して大きなインパクトを与えるだろう。世の中の期待はそういった方向に注がれるが、西森教授を突き動かしているのは、社会貢献に対する思いよりも、純粋な好奇心と探求心のほうが大きいようだ。
「量子アニーリングの理論は、『面白そうだ』と思ったことが研究の発端で、後にそれを製品化する人が現れました。何がブレイクスルーにつながるかわかりませんから、研究者は視野を広く持ち、〝無駄〞と思えるようなアイデアも大切にしないといけません。私も多くの論文を発表してきましたが、注目されたのはごくわずか。学生たちにも『1000個のアイデアを思いついても、うまくいくのは3つ。めげずに考え続けなさい』と何度も伝えています」
西森 秀稔
教授 博士(理学)
にしもり・ひでとし/1977年、東京大学理学部物理学科卒業。81年、米国カーネギーメロン大学研究員。82年、東京大学大学院理学系研究科物理学専攻博士課程修了。同年、米国ラトガース大学研究員。84年、東京工業大学理学部助手、90年、助教授、96年より教授。2011年、東京工業大学大学院理工学研究科理学系長・理学部長(~15年)。
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