機械学習など最先端技術を活用し、コンピュータを介した人と人のコミュニケーションをより便利に!
医療現場でのAIの活用が進んでいる。HCI(ヒューマン・コンピュータ・インタラクション)やUI(ユーザーインターフェース)のエキスパートとしてキャリアを重ねてきた綾塚祐二氏は、新天地のクレスコ技術研究所において、機械学習を駆使した医工連携のプロジェクトに取り組んでいる。これまでの道程を振り返るとともに、新たなチャレンジに対する思いを聞いた。
〝御三家〞を筆頭にSF作品にどっぷりはまった青春時代
テクノロジーの急激な進歩は、社会に対し、利便性や快適性の向上をもたらす一方で、世の人々に不安も与える。「AI技術の発展が、人間から仕事を奪う」という懸念が、そのわかりやすい一例だ。こうした不安の原因の一つは、テクノロジーの急速な発展に一般ユーザーの価値観や想像力が追いつかないことにある。最先端のテクノロジーが中長期の未来社会にどのような影響を与えるかを予測することは、その分野の最先端を疾走する研究者といえども簡単ではなく、私たちが不安に駆られるのは当然のことかもしれない。
両者の間に横たわる溝をつなぐものが、サイエンスフィクション(SF)だ。SF作品には、実用化されていない高度なテクノロジーが利用される様が強い説得力を持って描かれている。そうした物語を紡ぐ作家の想像力は、多くの科学者や研究者に刺激を、そして示唆を与えてきた。実際、SF作品を愛好してやまない研究者は少なくない。クレスコ技術研究所の綾塚祐二氏もその一人だ。札幌で生まれ、東京で育った彼は、気づいた時にはSFにどっぷりはまっていた。
「〝SF御三家〞と呼ばれる、アシモフ、クラーク、ハインラインの作品はもちろん、その他のSF作家が著した名作と呼ばれる作品に親しんできました。青春時代に読んだSFで印象に残っているものは、『夏への扉』(ハインライン)、『神々自身』(アシモフ)などでしょうか。グレッグ・イーガンの諸作品もお気に入りです」
前述のように、コンテンツとしてのSFの役割の一つに、科学技術と社会をつなぎ、技術の上にどのような社会を描くのか、どのようにして社会をつくっていくかということについて、ヒントを与えたり道筋を示したりすることがある。綾塚氏は、分野は違えど〝つなぐ〞ということを自らの研究テーマとしてきたようだ。
「僕の専門分野はHCIやUIで、人間とコンピュータの関係性、あるいは人間と機械をつなぐ接点におけるインタラクションに関する研究に取り組んできました」
高校卒業後、東京大学理学部情報学科に進学した綾塚氏は、コンピュータサイエンスを学ぶ。そこでUIの研究に携わるようになり、すぐにのめり込んだ。その要因として、SF好きだったことも強く影響しているという。
「SFの魅力の一つは、超ハイテク技術や機械などだけでなく、それを使う社会や人間の反応が描かれていること。もちろん先端技術に興味はありましたが、僕は人間そのものにも興味があった。UIは、人間とコンピュータが情報をやり取りするためのインターフェースで、それを利用した人間が抱く評価や感情と密接にかかわっています。SFと共通点があったからこそ、UIに惹かれたのかもしれませんね」
大学院を修了した綾塚氏は1999年、ソニーコンピュータサイエンス研究所に入所。企業研究者としてのキャリアをスタートさせた。
簡単な仕組みで世の中に大きなインパクトを与えたい
ソニーコンピュータサイエンス研究所を皮切りに、綾塚氏はこれまでに4社の企業に在籍して研究に取り組んできた。想像力を使いこなし、未来の姿を描くことがSF作家の役割なら、時代の最先端を切り拓くことが研究者の役割だ。彼も、時代を先駆ける研究の数々に携わってきた。
例えば、ソニー在籍時代の2000年代初頭に手がけた研究の一つに、表示されたパスワードを用いたアクセス制御の「ShоwnPass」という技術がある。本来のアクセス制御は、あらかじめ登録されたユーザーのみ認証させてアクセスさせるものだが、「取引先のオフィスで資料をプリントしたいだけ」といったような一時的な使用には向いていない。
「そこで、パスワードを公開してしまい、ネットワークへの侵入を自由に行える仕組みを考案しました。問題となるのはセキュリティの確保ですが、パスワードは、アクセスが必要なリソース、例えばプリンタなどの近辺に表示して、プリンタそばのディスプレイに当該プリンタのアクセスパスワードを表示する仕組みを考えました。パスワードを知るにはパスワードを見る必要があるため、不特定多数が出入りできない環境なら、十分にセキュリティが確保できるのです。もちろんパスワードは短時間で変更されます」
これ以外にも、数多くの先駆的な研究を成し遂げている。例えば、「AlbumWeaver」というアプリケーションは、大量の写真群をアルバムとして整理するためのもの。写真を格納したフォルダ内を一つのアルバムとして扱い、動画を編集したり、文章を編集したりするのと同じようにアルバムを編集するというコンセプトで開発。無数の写真を折りたたんだり並べ替えたりして、見やすい枚数にまとめることができる。
綾塚氏は、「実をいうと、私は年に1万枚は写真を撮る写真マニアなんです。趣味にも生かせると思いつくってみました」と屈託なく笑う。
また、「SyncBlink」と名付けたナビゲートシステムでは、地図などと現実世界の各案内表示、そしてユーザーの端末が同期して刺激を発することにより、どの案内表示が目的のものであるかを容易に識別・確信できる手法を確立した。端末側の刺激としては視覚・聴覚・触覚などを使うことができ、歩行中やパーソナルモビリティの運転中など、様々な状況に対応することを可能にしている。
どの研究も当時としては画期的かつユニークなものばかり。決して大がかりな研究とはいえないかもしれないが、そのぶん実用的であり、応用可能な範囲が広いことが想像される。
「研究時に心がけているスタンスは、できるだけ簡単な仕組みで面白いことを実現してみせよう、というもの。常にそのことを意識の片隅に置きながら、研究に勤しんできました。研究者には技術志向の人が多いのですが、僕は技術そのものを追求したいというよりは、研究がもたらした成果によって、世の中や人間が変わる様子を見てみたいという思いが強かったように思います」
もっとも、綾塚氏の研究成果が実用化されたケースはそれほど多くない。しかし「先端研究とはそういうもの。すぐに日の目を見るケースは少ない」と意に介していない。「いつか誰かが実用化してくれればいいかな、と、気楽に構えています」
機械学習を駆使し眼疾患の有無をスクリーニングする
12年間勤めたソニーコンピュータサイエンス研究所を09年に退職した綾塚氏は、トヨタIT開発センター、電通国際情報サービス(ISID)オープンイノベーションラボを経て、15年にクレスコ技術研究所に副所長兼上席研究員として入所した。
同研究所は、先端技術の研究と開発を目的に12年に設立された新しい研究所である。現在、約10名の研究員が在籍しているが、研究者一筋のキャリアを辿ってきた〝純粋〞な研究者は綾塚氏ただ一人。他のメンバーは、主にクレスコでキャリアを積んできたSEやエンジニアで、社内公募で入所した研究員ばかりである。
これまでHCIやUIの専門家として活動してきた綾塚氏は、クレスコ技術研究所で新たな領域でのチャレンジに取り組んでいるところだ。機械学習を用いた医工連携のプロジェクト、すなわちコンピュータの研究成果と医学の研究成果をつなぐ取り組みである。入所翌年の16年には、名古屋市立大学と共同で、人工知能による眼病の診断補助エンジンの研究をスタートさせた(コラム参照)。
「加齢黄斑変性や糖尿病網膜症など、眼底と呼ばれる部分で起こる疾患は、数十種類にのぼります。その眼底疾患を発見するための機器として、目の奥部の断層像を撮影する『OCT』という検査機器があります。名古屋市立大学病院が保有するOCT画像とその診断情報、そしてクレスコが持つ機械学習による画像分類のノウハウを組み合わせ、画像からの疾患分類を研究し、眼底疾患スクリーニングの仕組みを構築しました」
これは疾患を分類して特定するものではなく、疾患の有無の判断、すなわち〝スクリーニング〞を行うための技術である。そのため、最終的な診断は眼科医に委ねられる。機械学習の技術自体は目新しいものではないが、問題の性質に応じて使用するデータの質と量を見極める点で、クレスコのノウハウと綾塚氏の知見が生かされている。
「OCT画像による目の奥部の診断は、熟練した眼科医でも簡単ではなく、誤った診断を下すと治療開始が遅れ、気づいた時には疾患が重篤化しているケースがある、という話を名古屋市立大学病院の先生から聞き、なるべく正確な診断が下せるような仕組みができないか、医師の判断を手助けしてくれるシステムがつくれないかという相談を受けたことが研究のきっかけでした」
共同研究の結果、信頼に足る精度を得たと判断したクレスコは、これを元に実用化を進め、19年4月、医療機器メーカーのニデック社から同社製OCTで撮影された画像を解析するスクリーニングソフトとして発売された。機械学習を活用した眼病スクリーニングの手法構築とその商品化は評判を呼び、この成果を機に、複数の医療機関と新たな共同研究がスタートしている。
「目下、多くのプロジェクトに忙殺されています。コンピュータの世界と医療の分野をつなげる仕事は初めてですが、今後も、医療現場の課題を一つひとつ解消するお手伝いをしていきたい。いずれはAIによる疾患の自動診断も実現したいですね」と綾塚氏は力を込める。
一方で、綾塚氏の視線は別の高みも見据えている。前述したように、クレスコ技術研究所の歴史はスタートしたばかりで、純然たる研究者も彼一人。研究所の名を冠するに相応しい陣容と実績を整え、歴史を紡いでいくことも、綾塚氏に課せられた役割だ。
「具体的には、研究所のメンバーに対し、研究への姿勢や態度、アプローチの仕方を教え、論文の書き方などを指導しています」
そのために心がけていることは、「自分でやってみせること」だと言う。「論文発表とは、外部から研究成果の客観的評価を受けるということにほかなりません。アウトプットが評価されるなど外部環境が整うことによってビジネスにつながり、それが新たなインプットをもたらし、次の研究テーマが浮上します。眼病スクリーニングのプロジェクトはその典型。そうしたサイクルを上手く回せるプロフェッショナル研究人材を育てることで研究所の体制と方向性、そしてブランドを確立し、次の世代にうまくつなぐことができればいいなと考えています」
株式会社クレスコ
設立/1988年4月
従業員数/2229名(連結:2019年4月1日現在)
所在地/東京都港区港南2-15-1品川インターシティA棟
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